第8章 水の都ティリッヒの陰謀

2025年2月18日

6.ピーナッツバターがピンチを招く

「放せー!放せよバカヤロー!」

地下へ連れてこられた コンポン は、手足を振り回してメチャクチャに暴れた。
それを必死で取り押さえるのは なぜかコック帽を被った料理人。子供相手に油断していた彼は、足の脛と右の頬に派手な痣を作ることになった。
「あぁもう、手に負えねぇガキだな! お前、自分の立場わかってんのか?!」
「わかるかそんなの! いいから放せよ、放せったらー!!!」
「わかったわかった! ちょっと落ち着け、しょーがねぇなぁ!」
喚くコンポンの襟首掴み、料理人が地下の一番奥にある部屋に入り込む。
そこは古い調理器具や鍋・ヤカン等が雑多に置かれた倉庫だった。埃だらけのコンクリートの床に、コンポンはポイッと投げ捨てられた。
「ったく、忙しいのに手間取らせやがって! いいか、ここでおとなしくしてろよ!]
「あっ! 閉じ込める気だな?! ふざけんなー!」
監禁されたらたまらない。床に転がったコンポンは大慌てで立ち上がる。人が良さそうだが大柄の料理人の腹を目がけて ショルダーアタックを試みた。
「ぅおご!?」
吹っ飛ばされはしなかったものの、料理人がよろめき怯んだ。その隙に横をすり抜け走り出す。
しかし。

「なんだ、このガキは?」

目の前に 別の男 が立ちはだかった。
黒いジャケットを着た男がいとも容易くコンポンを拘束、腕を掴んで捻り上げる。
男のサングラスの端が微かに光った。網膜を読み取るスキャナーが仕込まれているらしい。
「戸籍があるな。すぐには始末できん。」
コンポンはゾッとした。
ロディが作ったカラーコンタクトは特別製で、網膜パターンを偽造している。アイザックが盗んだ地球連邦加盟国の戸籍データの中から、年齢が近く容姿がよく似た人物の網膜である。コンポンには戸籍がない。もしコンタクトをしていなかったら無国籍者ASだと知られ、すぐにでも消されていただろう。
男がコックを睨め付けた。
「しくじったな?」
「い、いや、コレ俺のせいじゃないだろ?それに子供に見られたくらいで・・・。」
「確かに子供だが、衣類に妙な物が仕込んである以上野放しにはできん。」
黒ジャケットの男はそう言うと、コンポンの背中、この国の学生に成りすますため着ていたブレザーの内側へ手を突っ込んだ。
掴んで引っ張り出した物に、男が眉をつり上げる。
「 指紋認証で伸縮する仕様の 棍棒 だと?少なくとも素人が持つ物じゃない。小僧、お前何者だ?」
「うるせぇ!返せよ、それ俺ンだぞ!」
身をよじって喚くコンポンはいきなり横っ面が張り飛ばされた!
再びコンクリートの床に倒れる。頭がクラクラするほど痛い。口の中に血の味が広がっていく。
それでも気力を振り絞り、殴った男に喰らいつく。
「返せったら!返せよ!」
「よほど大事なものらしいな。調べた方が良さそうだ。」
男がコンポンを乱暴に振り払い、コックに冷たく言い放つ。
「コイツの始末は後回しだ。縛っておとなしくさせておけ!・・・首尾は?」
「 言われたとおりに・・・。」
「よし。後は任せる。」
男は地下室から出て行ってしまった。

振り飛ばされたコンポンは埃を被った備品棚に 肩から思い切り激突した。
痛くてしばらく動けなかった。殴られた頬やぶつけた肩より、のど元までこみ上げてくる熱の塊を我慢する方が痛くて苦しい。それでもこんな奴らの前で泣くのだけは、何が何でも嫌だった。
「大丈夫か?まぁそう落ち込むなよ。」
急におとなしくなったコンポンに何を思ったのか、コックがオズオズ声を掛けてきた。
「お前、見ちゃいけないもの見ちゃったんだよ。
誰にも言うんじゃないぞ?他のヤツに話したら命が危ない。今日見た事は忘れるって約束したら、後で俺がこっそり逃がしてやっから。」
「・・・。」
力なく項垂れるコンポンの耳に、場違いに明るい声が聞こえた。

「意外と優しいじゃん。・・・で?
ウチのコンちゃんは、な~に見ちゃったのかな?」

「ぎゃあああぁぁ!!?」
コックは答える代わりに絶叫した。
驚いたコンポンが顔を上げる。襲撃者の声ドスが効いたものに変化した。

「おいコック! 俺の舎弟 ぶん殴ったの お前か?!」

・・・うわあぁぁぁぁん!!!
料理人の頭をコック帽ごと掴み、ギリギリ握めあげる ナム の姿に 緊張の糸がプツンと切れた。
コンポンは大声で泣き出した。

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ナムと一緒に駆け付けたモカがコンポンの怪我を手当てした。
ウエストポーチの救急キットから湿布を取り出し 腫れた頬に張りつける。その間、すっかり落ち込んだコンポンはずっと泣きべそかいていた。
「棍棒、取られた・・・俺のなのに・・・。」
モカは打ちひしがれるコンポンの肩に そっと手を掛け優しく撫でた。

新人ルーキー達のファースト・ミッション、火星のバイオテクノロジー研究所での修羅場。
そこで目にした ナム の勇姿に、コンポンは大いに感動した。

『うわ、カッコいい!♪ その武器が。』 
『お前、一言多いぞ!?』

指紋認証伸縮棍棒が気に入った彼は、ロディに同じ物が欲しいとねだり それはしつこく付きまとった。
その執着たるや猛烈で、「欲しい 欲しい!」と喚きながら 食事もトイレも入浴も就寝も ひたすら纏わり付くものだから、多忙なロディも1日で陥落。出来たてホヤホヤの棍棒を手にしたコンポンの喜び様は凄まじかった。
それを奪われたのだから無理もない。
掛ける言葉が見つからず、モカも哀しげに俯いた。
しかし。

「 いや、それ 今どーでもいい。」

「 えっ? 」
驚くモカの後ろから、ナムは腕を伸ばしてコンポンの襟首を掴み上げた。
いきなりぶら下げられたコンポンが 泣き濡れた目を丸くする。
「 お前殴ったの このコックか?
だったらアイアンクローかましたくらいじゃ足りねーだろ、もう 2、3発ぶちかます!」
気絶させたくらいでは とても怒りが収まらない。床で伸びてる料理人の頭を 靴の先でゴツゴツ小突く。
「・・・。」
ポカンとしていたコンポンが自分の状況を把握した。
完全に ネコ摘まみ である。さすがに屈辱を感じたらしい。手足を振りまわして暴れ出す!

「殴ったのはそいつじゃねぇし!さっき出てった黒い服のオッサンだ! 放せよ! 俺 ネコじゃねぇぞー!」
「そんじゃコイツなに? 何でコックがガキンチョ倉庫に監禁すンだ!」
「知らねぇよ!俺だってワケわかんねぇ! 何で ピーナッツバター でこんな目に遭わなきゃなんないんだー!」
「 ピーナッツバター? なんだそりゃ???」

「待って待って。落ち着いて!」
モカが慌てて2人をなだめた。
「ナム君、とにかくコン君降ろそ? 怪我しちゃってるから、優しくね? コン君、何があったの? 捕まった経緯、話せる?」
「・・・迷子に、なった。」
床に降ろされたコンポンは決まり悪そう話し出した。

「交流会終わって帰る時、ちょっとトイレ行きたくなった。
そしたら迷った。元いたロビーにどう行きゃいいかわかんなくなって、ウロウロしてたら周りに誰もいなくなった。」
「通信機は? 持ってるでしょ、なんで連絡しなかったの?」
「・・・笑われンの、イヤだった。」
「もぉ。それで?」
「疲れたし腹減ったし困ってたら、うまそうなイイ匂いがした。気になったから匂いがする方へ行ってみた。でっかいキッチンに着いた。」
「議事堂の厨房だね。それでコックさんと出会っちゃったのか。」
「この前基地の晩飯に出たすっげぇ美味い真っ赤なスープがあった。コックのオッチャンが皿に注いでるトコだった。」
「この前食べた赤いスープって言うと、グヤージュ? ハンガリー風トマトスープの。」
「うん。うまそーだなーって コッソリ隠れて見てたら、コックのオッチャン、スープに 黄土色のクリーム 入れて混ぜた。」
「 黄土色?」
「うん、瓶に入ったネトッとしたクリーム。何だろうって思ったから、近づいてみた。 ビーナッツバター だった。」
「・・・。」
「俺、ピーナッツバター好きだから つい指突っ込んで舐めた。そしたら見つかって捕まった。」

ナムは後頭部を掻きむしった。

「 そのスープ、サトラー首相の食事だろうな。
首相暗殺とは恐れ入ったぜ。このコック、土星強制収容所極悪人の墓場行き決定だ。」

「 へ? 暗殺? ピーナッツバターで???」
首を傾げるコンポンに、モカが手短に説明した。

「サトラー首相は重度の ピーナッツアレルギー なんだよ。
たった一粒食べただけでも大変な事になっちゃうの。死んじゃう場合だってあるんだよ。」

アナフィラキシー・ショックである。
事前調査だとサトラー首相は、過去2度もピーナッツを誤食して死に瀕した事がある。劇薬など入手しなくとも彼女の 毒殺 は容易く可能。立派な 暗殺未遂 である。
しかし、解せない部分もある。ナム達は一様に顔をしかめた。
「大方 改革政党の誰かの指図だろーけど、何でコイツ 実行犯 なんて引き受けたんだ?
議事堂食堂のコックだろ?首相がメシ食っておっ死んだら先ず疑われるの自分じゃん。」
「だね。ホントに何で・・・って、大変!
今日のスケジュールだと、首相はこれから遅めの昼食のはず。そのスープ回収しなきゃ!」
「あ、そーか。そんじゃ、コックはこのまますっ転がしとくとして・・・。
ロディ、そっちの調査済んだら ショッピングセンターでメシ食ってるフェイ・シンディを拾ってくれ。
コンポンはここに居る。ちょっとトラブルがあったんだ、俺とモカは対応にあたってからバックヤードに帰っから!」
通信機で ターゲットB追跡中の ロディ を呼び出し、新人ルーキーの回収を依頼する。
今度の通信機はシルバーのバングル。実にリアルな 芋虫 が手首に巻き付いているデザインの逸品である。当然、着用本人以外の者には不評を通り越して酷評。
「いいだろ〜、このバングル♪」
不気味な通信機にご満悦なナムに、苦笑するモカが気が付いた。

「そう言えば私、ナム君に新人ルーキー達のお迎えお願いしたよね?
なんでそっちに行かずにバックヤードに帰ってきたの? お陰で助かったけど・・・。」

「 え? あ、まぁ、その・・・。たはは。」
ナムはあからさまに動揺した。

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得体の知れない男達。
彼らがバックヤードに踏み込んで来た時、モカは音響兵器で身動き取れず危機的状況に陥っていた。
そこを救ったが ナム だった。

「俺のカノジョ(予定)に手ェ出さないでもらえます? ざけんじゃねーぞゴルぁ!!!」

モカに手を掛けようとした男達は、不意を突かれた所為もあって全員見事にぶちのめされた。
今はバックヤードの部屋の床にでふん縛られて転がっている。1人残らず気絶していて、当分目を覚まさないだろう。


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確かに、ナムはターゲットA=ラミレス議員の調査後、新人ルーキー迎えに行くよう連絡を受けた。
その時、バックヤードにはモカ1人きりのだと聞いてしまったので魔が差した。
あの日のお返事を聞かせてもらって 2人の今後を話し合うのに 今なら邪魔が入らない。そう思い立ったら新人ルーキーのおりどころじゃない。居ても立ってもいられなくなり、指示を無視して直帰した。
(な~んて言ったら絶対ヤバい!
ミッション中に何やってんだって話だよな、お返事聞かせてもらうどころか軽蔑されるかも・・・。)
背中の冷や汗がじっとり冷たい。
そんなナムにコンポンが 冷めた口調で呟いた。

「さてはナムさん、モカさん 襲 い に 行 っ た な ?」

・・・ ギク!!!
当たらずとも、遠からず。
ナムはコンポンを摘まみ上げた。
「なな、なに人聞き悪ィ事言ってんだ!
あーもー、それどころじゃねぇよ、厨房行くぞ!来いコンポン!」
「だから摘むなー!俺 猫じゃないってばー!」

喚く子供を小脇に抱え、倉庫の扉を足で蹴り開け厨房目がけて走り出した。
慌てて後を追ってくるモカの気配を背中に感じ、必至で動揺を押し殺す。
(・・・お返事、いつ聞けンのかな・・・。)
それどころじゃないと知りつつ、なんだかちょっぴり切なくなった。

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一方、こちらはティリッヒに数多ある運河のほとり。
兄貴分達の騒動をよそに、ロディは諜報活動に勤しんでいた。
カメラ搭載蜂型ロボスパイ・ビーが追跡しているターゲットB。その情報をワイヤレスイヤホンで聴きながら、ティリッヒ名物のランゴーシュ(チーズや野菜・肉などをトッピングした揚げパン♡)にかぶりつく。聞こえてくるのはうんざりするような話の内容。何か美味しい物でも食べていないと気が滅入ってやってられない。

『まったく、この世の中腐っとるよ。ティリッヒにも 無国籍者ASが増えてきたし、そいつらが勝手に作る貧民街が目障りな事この上ない。
この国は観光業で成り立っているというのに、保守政党のヤツらはなんで 無国籍者AS難民なんぞ受け入れるようとするのかねぇ?あんな貧乏臭い連中が街をウロウロしておったら、観光客が嫌がるだろうに。
ただでさえ連中のせいで治安が悪くなる一方だ。正気を疑うよまったく!・・・。』

ビーは手元のタブレット端末に映像も送ってきているのだが、とても見る気にはなれなかった。ロディは運河沿いにあるベンチに腰掛け、ひたすら我慢してターゲットBのえげつない話を聞いていた。

ロディのターゲットはオルバーン議員。改革政党の副代表を長く勤める男である。
事前の調査で彼は今日一日、議事堂執務室でデスクワークに忙殺されるスケジュールなっていた。しかし急遽外出すると言いだし、戸惑う秘書達を置き去りにして執務室から飛び出した。
SPを1人だけ連れて駆け込んだのは、運河沿いにある高級レストラン。一番奥の個室をリザーブして誰かと話し込んでいる。
オルバーン議員のジャケット襟裏に潜り込んでいたカメラ搭載蜂型ロボスパイ・ビーは、今ではレストラン個室のシャンデリアに潜んで逐一会話を拾ってくれる。聞くに堪えない話を我慢して聞いているのは、オルバーン議員が相手にしている者の正体が掴めないため。
あまり話さないので素性がまったく確認できない。ターゲットは腹黒さダダ漏れの饒舌だというのに、苛立ちが募るばかりだった。

『・・・首尾は?』

やっと相手が喋った。ロディはタブレット画面に目を落とす。
『あ? あぁ、安心してくれ。万事抜かりない。』
『ラミレスの方が少々揉めているようだが? 君達は今回の作戦がどれだけ大事かわかっているのかね?』
『だ、大丈夫だわかっているとも! それにラミレスの家庭事情は今日解決したそうだ。マスコミにも根回ししているところだと連絡があったよ。』
ロディはクスっと笑った。ラミレス議員に取り入ったナムは 首尾良く事を成し遂げたようだ。
イヤホンから聞こえるオルバーン議員の声が、さらに大きく聞こえてきた。

『任せておいてくれ給え。当日は派手な 集会 になる事請け合いだとも!
有名歌手や女優の参加も決まっているんだ。宇宙港基地式典 の規模にも負けやせんよ!』

( !? マジッスか?!)
思わず耳を疑った。宇宙港基地式典と同じ日に デモ を目論んでいるようである。
改革政党のオルバーン議員がいう以上、地球連邦離脱を求める反政府デモに違いない。
『・・・口だけは達者だな。』
運ばれてきた料理に手をつけず、相手の男が席を立った。

『覚えておくんだな。今回の件での君達の働きは 上層部 も期待している。
だからこそしくじったりしたらどうなるか・・・。これ以上のトラブルは御免被るぞ!』
『な、何かあったのか?』
『議事堂のコックと連絡が取れない。
首相は無事に昼食を終えた。もう一度言う。失敗は許さんぞ、いいな!』
男は終始高圧的な態度を崩さず、レストランの個室を後にした。

(・・・なんだ、この男?)
ロディはカメラ搭載蜂型ロボスパイ・ビーのターゲットを、この「黒いジャケットを着た男」に変更した。

(一国の政治家相手にあそこまで高飛車になれるなんて・・・。
『上層部も期待している』とか言ってたッスね。スケジュール詰まった議員を呼び出せた事といい、いったい何者なんッスか?)

とにかく、探っておいた方がいい。
そう判断したロディはレストランを出て駐車場に向かう黒ジャケットの男を追跡した。
しかし阻止された。男は車の運転席に乗り込む瞬間、ジャケットの裾にしがみついていたビーに気づいたのだ。
疑われるわけにはいかない。ロディはすぐさまビーを男の体から引き離した。
(車に乗り込む前にボディチェック?盗聴器警戒したんッスか?!やっぱただ者じゃないッスよ!)
車の周りをウロウロ飛び交うビーがおかしな映像を送ってきた。
車中の男がハンドルを握る前に、後部座席に何かを放り投げた。ロディはハッと目を見張る。

(棍棒?ナムさんの、いや、コンポンのだ!)

ロディはピーナッツバターの事件を知らない。なぜ男が棍棒を持っているのかさっぱりわからず困惑した。
そんな彼を置き去りにして、黒いジャケットの男が乗る車は宇宙空港の方角へと去って行った。

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