第4章 闇の国の復活

6.モカの呪文


ナム達諜報員の就寝は早い。
荒野のど真ん中にある基地では夜間の楽しみが何もない。おまけにいざミッションが始動すれば睡眠なんてほとんど取れない。何も仕事がない夜は大抵みんな寝てしまう。
特に今日は夕食時の騒ぎのせいで、寝静まるのが早かった。
静かすぎるのも返って気に障る。ナムはベットから起き出した。

最近、横になってもなかなか眠りが訪れない。
じっとしてると余計な事ばかり考えてしまう。気分が滅入るばかりだった。
寝る時外さすはめたままの腕時計を見ると夜半過ぎ。小腹がすいた。ナムは頭の後ろをかきながら部屋を出た。
ベアトリーチェにバレたら無事ではすまないのだが、キッチンで食べ物を物色する。パンにハムとチーズをのせて、少し焼いてからかぶり付く。
美味いが、何だか味気なかった。

嫌に静かだった。いつも何かしら騒がしいこの基地に限ってこんな静けさは滅多にない。
理由はすぐにわかった。風が吹いていないのだ。
火星の荒野では珍しい。強風または暴風が普通で、砂嵐の日も希ではない。
だから、ふと気まぐれが起きた。

(これなら外に出ても大丈夫だな。もし雲が晴れてたら星が見えるかも。)

外は凍えるように寒いだろうが、星でも見れば沈んだ気分も少しはすっきりするかもしれない。
ナムは基地の屋上に向った。

屋上へ向かう折り返し階段は、コンクリート製でヒビだらけ。鉄製の手すりもサビ色で、氷点下に近い夜の空気でキンキンに冷たくなっていた。
星が見たいと思っていたので、照明はあえて灯さなかった。腕時計に備わっているライト機能で足下だけを朧に照らす。
暗い階段を上がるナムは、最後の踊り場で立ち止まった。

(・・・誰かいる?)

上から 人の声 が聞こえるのだ。
この階段を上りきると、屋上に出る扉がある。手前に踊り場と同じくらいのスペースがあり、不要な物が放り込まれた木箱や段ボールが雑多に積み上げられている。
要するにガラクタ置き場である。そんな場所だから基地の人間は滅多に行かない。特にこんな夜中には。
ナムは足を忍ばせて近づいた。

( モカ ?!)

モカがいた。
部屋着姿のモカが、ガラクタ置き場の隅で蹲まり震えている。
(な、なんでこんな所に?)
ナムは激しく狼狽した。
食堂で錯乱した後の異常な様子と同じに見えた。腕時計のライトは乏しいとは言え、照らされているのにも気付いていない。自分の身体を強く抱きしめ、苦しそうに喘いでいる。
声を掛けたい。助けてあげたい。
強くそう思うのだが、のど元まで出掛かっている言葉が口から出てこない。
差し伸べた手を振り払われた時の痛みが胸を突く。
モカの 拒絶 が怖かった。

(・・・何だ? 何か呟いてる・・・?)

荒い息遣いの合間に、半ば掠れた声が聞こえる。
何かの 呪文 でも唱えているように、弱々しく 延々と。

「・・・大丈夫、もういない・・・。
 あいつ・・・いない、きっと 死 ん だ !
 もういない、大丈夫・・・いない・・・いない、もう 死 ん で る ・・・!」

(・・・ 死んだ?! )
耳を澄ましてよく聴いてみたが、モカは確かにそう言っている。
譫言にしては不穏な内容である。意味はまったくわからないが、胸を突くような「呪文」だった。

「・・・大丈夫、もういない、あいつ・・・いない。きっと死んでる、もういない・・・!」

冷たく凍った空気の中、モカの呪文だけが哀しく響く。
( いったい誰の事を言っているんだ・・・?)
何もわからず、何も出来ない。そんな自分がもどかしく、ナムは項垂れ唇を噛んだ。
忸怩たる思いで佇んでいると、突然ピタリと「呪文」が止まった。
モカが力無く立ち上がり、覚束ない足取りでゆっくり階段を降りて来る。

( ヤバい!)

顔を合わせてはいけない気がして、ナムは咄嗟に腕時計の明かりを消した。
一つ下の踊り場に下がり、闇の中に身を隠す。
息を潜めるナムに気付かず、モカが目の前を通り過ぎた。簡易ライトを持っていたらしく、足下はちゃんと照らしているが、よろめいていて危なっかしい。
疲れ果てているし、憔悴している。暗がりでもわかるほどの痛ましい。
( ちゃんと自分の部屋に帰れるのか・・・?)
さすがに心配で後を追う。
暗闇の中手探りで何とか1階まで無事に降りると、廊下一番奥の部屋にモカが入って行くのが見えた。
開いた扉の向こうから明かりがこぼれるその部屋は、彼女の寝室などではない。
愕然となり佇むナムは、モカを招き入れようとする 部屋の主 と目が合った。
しかし、サラリと無視された。
扉は閉まり光が断たれ、辺りは再び暗くなる。

( なんで 局長室 に・・・?)

局長室がある暗闇を見据え、ナムはしばらく立ち尽くした。
再び訪れた静寂が、ひどく重く冷たく感じた。

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「リーベンゾル国復活宣言」の放送直後から、太陽系中が大混乱に陥った。
先ず、メディアが一斉に騒ぎ出した。
地球連邦政府機関や軍関係の施設に押しかけ 会見 を要求。半ば暴徒化する勢いで 官僚・軍基地トップの説明を求め、その鎮圧に 軍隊 が出動する事態に陥った国や自治体が続出した。
外惑星エリア・小惑星帯アステロイドベルトエリアに住む人々は「大戦の再来」を按じて恐れ、避難、移動を開始した。
航空会社予約受付システムがパンクし、各地の宇宙空港は押し寄せる避難希望民でまったく収集がつかなくなる。
地球連邦政府と軍の対応はまるで間に合わず全て後手。それを加盟各国政府から責められ、地球連邦 離脱 を検討する国々が従来よりも3割増えた。

そんな中、騒動の元凶・ターク は精力的に「リーベンゾル国再建活動」を開始する。
彼は取材の依頼を快く受け、大手報道機関から地方の貧弱新聞社に至るまで情報提供を惜しまなかった。
「大戦」時におけるリーベンゾル軍の侵略・略奪・残虐行為を責める意見も相次いだのだが、逃げる事なく受け止めた。丁寧な言葉で深く陳謝し、贖罪の意思すら示してみせる。
そしてメディアを通じて繰り返し 地球連邦への従属拒否 と 反戦 を訴えた。その姿は威風堂々頼もしく、「事実確認中」だと逃げ回る地球連邦政府高官が 滑稽 に見えるほどだった。

『我がリーベンゾルの先の元首。彼が太陽系中にもたらした被害は重大にして甚大です。』

タークはそう言って眉を潜めた。
あるTV局の単独インタビューでの事である。

『その罪を可能な限り償う事が 我が国の再建に必要不可欠。私は強くそう考えています。
被害に遭われた国および都市、そこに住まう被害者の方々。彼らの想像を絶する惨苦に酬い、今後幸多き人生が送れるよう国を挙げて保証・援助させて頂く。
それこそが、我が国の再出発であり 太陽系人類発展に貢献するための足掛かりだと言えるでしょう。』

彼の人気はうなぎ登り。
TVもラジオも新聞も雑誌も、タークの話題で持ちきりだった。

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食堂のTVでこれを見ていた テオヴァルト がニヒルに笑う。
「さぁて、何企んでやがるかな?
ご大層な綺麗事抜かしやがったが、本気とも正気とも思ねぇんだが。」
一緒に見ていたカルメン・ビオラも顔をしかめて嫌悪した。
「確かに。
何が人類発展に貢献する だ、 リーベンゾル復活だけでも大混乱だってぇに!」
「イカれてンのよこの男!
今更贖罪なんか冗談じゃないわ、争いの火種になるだけよ!」
「ビオラ姐さん、怖ぇッス・・・。」
彼女達の隣でスパイビーの整備をしているロディが慄き縮こまる。
その様子をTVから放れたテーブルの席で、ナムぼんやり眺めていた。
正直、今はリーベンゾルもタークも『大戦』の危機も関心は無い。気になるのはただ一つ、モカの事だけだった。
彼女の「呪文」を聞いた夜から1週間経つ。その間、たった一度たりとも顔を合わせる機会は無い。
基地に居るのは間違いないが、自室に帰っていないらしい。だとすると、もしかしてずっと 局長室 に・・・?

「それ、モカのか?」

いつの間にか物思いに耽っていたらしい。近くの席で缶ビールをあおるマックスの声で我に返る。
キッチンから出てきたベアトリーチェが芳ばしく焼いたホットサンドをのせた皿を持っている。卵・チーズとスパイシーなソーセージの香りが食欲をそそる。
「えぇ、モカはサンドイッチが好きだから作ってみたの。
心配だわ。あの娘、あの日から食堂に来ようとしないんだもの。ちゃんとご飯食べてるのかしら?」
「コンバット・レーションは何とか喰えてるらしい。」
「レーションを? 確かにアレは栄養あるけど不味いでしょうに 。
・・・ねぇ、アンタ達。これ モカに持ってってあげてくれない?」
ベアトリーチェがカルメン・ビオラに声を掛けた。
「だめだ、リーチェ姐さん。あの娘、私らの事 恐がるんだ。」
「昨日、廊下で見かけて声かけたんだけど、すっごく怯えて逃げちゃったの。」
カルメンが表情を曇らせ困惑し、ビオラが哀しそうに目を伏せる。

「・・・何があったの?あの娘に・・・。」

ビオラの呟きは基地にいる者全員が抱く思いだった。

 ピピッ!

マックスの通信機が鳴った。
彼の通信機はご自慢の義腕に取り付けられてる。飲み掛けのビールをテーブルに置き、肩の部分に耳を寄せる。
「あぁ、食堂にいる。ん? 全員はいねぇが・・・。了解。」
どうやら相手はリュイのようだ。
マックスは徐ろに立ち上がった。

「カルメン、リグナム!
サマンサとアイザックと、新人ルーキー共呼んでこい!」

「 !!? 」
ナムはカルメンと顔を見合わせた。
普段強気な姉貴分が動揺している。不安そうな面持ちだった。
自分も同じ顔なのだろう。至極驚いた心境を隠しきれた自信が無い。
局長・リュイによる「全員招集」。
滅多にあるものじゃない。極めて重大な緊急事態時だけである。
例えば、仲間の命に関わるような・・・!

「マイ・ハニー、ホットサンドは後回しだ。」
マックスは愛妻にそう告ると、テーブルのビール缶を遠くへ押しやった。

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フェイとコンポンは格納庫に、サマンサ、シンディ、アイザックは自室に居た。
いきなり呼び出し喰らった者は全員一様に仏頂面。特にサマンサは苛立っていて、不満を隠そうともしなかった。
「ホントになんなの?早く説明して!」
鋼鉄の処女アイアン・メイデンの激昂に、マックスが口を開こうとした時だった。
廊下から足音が聞こえてくる。
いつにも増して足取り荒い、酷く乱暴な足音だった。

「 ・・・局長? 」

食堂に現れたリュイの様子に、全員一様に目を見張る。
恐ろしく険しい。この男の無愛想はいつもの事だが、それに輪を掛けて物々しい。
そのリュイが片手に掴んでいるモノに、ナム達は驚いた。

「 モカ !!?」

モカが、腕を掴まれ荒々しく引きずられている。
リュイはナム達の前を横切り、覚束ない足取りの彼女を空いている椅子に振り投げた!
崩れるように椅子へ倒れ込むモカが震えて蹲る。
顔色が悪い。やつれ果てている彼女はまだ 異常な状態のままだった。
「モカ!?・・・ちょっと、アンタ何すんの!!?」
サマンサが怒りの声を上げる。
それを冷たく無視したリュイは、怯える少女に駆け寄ろうとするカルメン・ビオラを片手で制す。
同じく駆け寄ろうとしたベアトリーチェをマックスが止めた。生身の手の方で妻の肩を掴み、ゆっくり後へ下がらせる。

「・・・何があった?」

間違いなく、非常事態。
ある種の覚悟がこもった声で、マックスは己の上官に問う。
「 部隊招集命令 だ。」
ナム達の方を振り向きもせず、リュイが一言 言い放つ。

「明日の朝、総員で『エベルナ』に飛ぶ。 アレエメルヒの狙いは モカ だ!」

モカの肩がビクッと震えた。

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