第4章 闇の国の復活
8.汚辱の刻印
あまり広くはない、殺風景な窓のない部屋。それが少女の「世界」だった。
生活で困る事はあまりなかった。食事は充分に与えられたし、衣類もある。太陽光は人工太陽光ライトで浴びられたし、夜は清潔な寝台で眠れた。
ただし、部屋の出入口には鍵が掛かっていて出られない。
物心ついた時からずっと、少女は母と2人きりでそこで暮らしていた。
厳密に言えば、2人きりではなかった。
夜になると悍ましい悲鳴が聞こえたり、出入口の扉の向こうで誰かが争っている物音が聞こえた。
部屋の外には母以外の人がいるのは解っていたが、幼い少女にその物音は不安を煽るものでしかない。聞こえた時は母の胸にすがり、怖くてずっと泣いていた。
出入口の重い扉は月に何度か開く事があった。
無表情な兵士数人やって来て母をどこかに連れ出していく。一緒に連れて行ってはくれなかったが、一度だけ放れたくなくて駄々をこねた。その時母は手を上げた。打たれて泣き出す少女を置いて、兵士達と行ってしまった。
しかし帰ってきた時は泣きながら何度も謝ってくれた。一緒に行きたいと思うのは母を困らせるのだと理解した少女は、二度と我が儘を言わなかった。
母は特別美しい人ではなかったが、とても優しい人だった。
彼女は少女をこよなく愛した。知る限りの知識を教え、他人を思いやる優しさを教えて必死で守り育んだ。
今思えば、それはどんなに過酷だった事だろう。
母子を取り巻く環境は、その教えとはまったく逆の狂気極まる世界だったのだから。
独裁者のハーレム。
武力で他国を侵略し、略奪した金で築いた「後宮」。
その異常な「世界」の中で、少女はすこしづつ成長していった。
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「・・・これは凄い事になったねぇ・・・。」
食堂の入口すぐ側の壁にもたれて腕組みしている アイザック がつぶやいた。
「普通に考えたら、モカっちは・・・。」
「リーベンゾル・ゴルジェイの、娘・・・。」
ベアトリーチェが自分が言った言葉に戦き、震える両手で口を覆う。
リーベンゾル・タークの異母妹、と言う事になる。ターク自身が自分の血筋を偽っていなければの話だが。
「続けろ。」
リュイは冷たく命令した。
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「後宮」での生活は6年前まで続いた。
地球連邦政府軍が「7日間の粛正」を強行した年である。
その日、母を連れに来た兵士達は少女も部屋から引きずり出した。
母は必死で少女を守ろうとしたが、無駄だった。2人は「ある特別な場所」へ連れて行かれ、抵抗虚しく閉じ込められた。
壁や床に染みこんだ血の跡、鉄の鎖の拘束器具や錆びた刃の拷問器具。真っ赤に燃える高炉には鉄の棒が何本もくべられ、そこはかとなく腐敗臭が漂う。
まだ10歳になったばかりの少女でも、拷問部屋だとすぐにわかった。
その悍ましい場所で待っていたのが、「あの男」。
大きな体躯、異様にギラギラ光る双眼、身の毛がよだつ淫猥な笑み。化け物のような「あの男」が最愛の母に襲い掛かる!
飢えた野獣が獲物をむさぼる。そんな暴力と狂気だった。無力な少女に母を助ける術などない。正視に耐えない悪夢だった。
やがて母を喰らい尽くした男が、隅で震える少女を目を留め口を歪めて残忍に笑う。
それに気付いた母が必死で男の足にしがみつく!
やめてやめてやめて、どうかその子だけは許してください!
私はどうなっても構わないから、どうか、どうかその子だけは・・・!
母の叫びは逆鱗に触れた。
男は一声咆哮すると、母を激しく殴打した!
お母さん! お母さん!! お母さん!!!
心は張り裂けそうなほど叫ぶのに、声がまったく出てこない。
母の身体は殴られ蹴られ、踏み躙られて血を吹いた。執拗に痛めつけられた彼女はやがてピクリとも動かなくなる。
無情にも母は 絶命 した。恐怖に固まる娘の目の前で。
返り血を浴びた男が笑う。
男は母を容赦無く蹴り飛ばし、再び少女へ向き直った。
・・・ そ し て ・・・。
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「 あ”あ”あ”! い”や”あ”ああぁぁぁーーーっっっ!!!」
限界だった。
モカは椅子から転がり落ち、身をよじって嘔吐した!
「 モカ !!!」
駆け寄ろうとするサマンサをリュイが再び制して止めた。
サマンサはリュイを睨み付けるが、それ以上は動かない。
局長の命令は絶対である。
のたうち回って苦む少女、彼女に対してでも例外は無い。
「まだ終わってない。話せ!」
リュイはどこまでも非情で冷酷、一片の情けも見せなかった。
我慢の限界を突破した。
ナムは椅子やテーブルを蹴散らし、佇むリュイに飛びついた!
「・・・アンタさぁ!!!!」
シャツの胸ぐら掴んで引き寄せ、顔正面で至近距離から思いっきりどやしつける!
罵倒してやるつもりだったが口から言葉が出てくる前に、横っ面を張り飛ばされた。掴んだシャツの襟が破れ、周りのテーブル・椅子を巻き込み食堂の床に倒れ込む!
口腔に血の味が広がっていく。しかし痛みは感じない。
こんなに怒り覚えたのは初めてだった。
ナムはすぐに体を起こし、リュイを見据えて身構えた。
自分を見下ろすリュイの目は、どこまでも無情で冷酷に見える。
一触即発の張り詰めた空気。
その緊張を破ったのは、苦しみもがくモカだった。
「・・・ 焼き印 、を・・・!」
全員一斉に、弾かれたように床で蹲るモカを見た。
辛うじて息をしている彼女は着ているTシャツを握りしめる。
左胸のすぐ下辺りを、指が白くなるほどに。
「・・・焼き印を、穿たれました・・・ 性奴隷の、証だって・・・。
・・・その後は・・・火事・・・? 爆発・・・? よく、覚えてな・・・い・・・。」
モカが再び嘔吐した。
吐瀉物に血が混じっている。これ以上の詰問は身も心も保たないだろう。
「・・・怖い・・・怖い、お母さん・・・!!!」
掠れた声で母を呼ぶ。まるで小さな子供のように体を縮めてすすり泣く。
「・・・。」
リュイが動いた。
苦しむモカの腕を掴み、無理矢理立たて頤を掴む。
そして彼女の虚ろな目をのぞき込み、声を張り上げ怒鳴りつけた。
「そいつは、いない!
もう死んでる! 大丈夫だここには居ない!!!」
( あの「呪文」!? )
ナムは思わず息を飲んだ。
「・・・い・な・い・・・?」
「そうだ、ここには居ない!
たぶん・・・いや、確実に死んでいる!!!」
モカの呼吸が落ち着いていく。
それを確認したリュイは、彼女を食堂の入口の方へ突き飛ばした。
「行け! 俺の部屋だ。」
よろめきながら食堂を出ていくモカに、カルメン・ビオラが駆け寄ろうとした。
しかしリュイは2人を睨み、制止の言葉を口にする。
「 追うな!」
「 いい加減になさい! 放っとける状態じゃないでしょう!!?」
あまりに冷酷な態度を目にして、とうとう鋼鉄の処女・サマンサがキレた。腰に吊したアサシン・ナイフを引き抜こうとする彼女の腕を、ベアトリーチェが慌てて押さえ込む。
「PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。」
リュイが部下達に向き直り、静かな口調で語り出す。
普段横柄で高飛車なこの男に似つかわしくない、暗く神妙な面持ちだった。
「アレは時々発作を起こす。
ああなると 俺 以外の人間は怖がって錯乱する。今回は症状が重い。追うな、放っておけ。」
「!? そんな・・・。」
サマンサが絶句して後ずさる。
「ここから先は俺から話す。
普段起こす発作くらいなら1人で乗り切るよう鍛えてある。だから今は・・・構うんじゃない。」
モカが座っていた椅子を起こし、リュイはゆっくり腰掛けた。