第1章 衛星都市マッシモの奇跡
4.ふてぶてしく、狡猾に!
遠くでまだ消防車やパトカーのサイレンが幾つも聞こえてくる。
フラットはサビだらけの車のボディにもたれかかり、荒ぶる息を整えた。
倒壊する裏通りの酒場から全速力で走って逃げてきた彼はフラフラだった。立て続けに起った修羅場の所為で疲労が激しい。生きているのが不思議な気分でゆっくりと辺りを見回した。
ここは不法投棄のゴミ捨て場のようだ。 辺りには大型家電製品やボロボロの車がうち捨てられている。
廃棄物が積み上げられて高い壁を造り、暮れかけている太陽の光を遮り薄暗い。捨てられた物達の終焉の地は異様に静かで、神秘的な雰囲気すら感じられた。
「・・・何で・・・こんな事に・・・?」
足下で聞こえた悲しいつぶやきに胸が痛む。
呆然と地べたにへたり込む少年の隣に、弟分の姿は、無い。
掛ける言葉が見つからない。フラットは項垂れるナムから目を背けた。
手榴弾が破裂し倒壊するカルメンの酒場。
混乱を極める中、フラットが助け出せたのはチンピラ兄弟の兄貴分、ナムだけだった。
助けた、という表現はおかしいかもしれない。気が付けばナムと一緒に建屋の外にいたのだ。
その時の記憶は曖昧だった。咄嗟の事で無意識・無自覚に体が動き、近くにいたナムを連れて脱出したと推測したが、正直よく覚えていない。
しかし後が大変だった。
弟の名前を叫び、半狂乱で崩れる建屋に戻ろうとするナムを力づくで引き留めながら、得体の知れない襲撃者の追撃をかわして安全な所まで逃げ延びる。それらをようやくやり遂げたフラットは今、一生分の体力と気力を使い果たした思いだった。
(サンダース補佐官はどうなっただろうか・・・?)
自分が守るべき主だった男を思い、フラットは唇を噛みしめる。
あの倒壊する酒場に残してきてしまった。生死すらわからない。瓦礫の下敷きになっただろうか?それとも彼を狙った謎の男達の手に掛かって・・・?
「・・・くそっ!!!」
身を焼くような焦燥感に、さびた車のボディを拳で叩く。
車体が凹む大きな音にナムがビクッと身を震わせた。ひしゃげたピンクのシルクハットを目深に被った少年はうつろな目をしてフラットを見上げ、ふらつきながら立ち上がった。
「・・・どこへ行く?」
「舎弟・・・ロディ・・・捜しに・・・。」
「諦めろ。」
フラットはなるべく平静を装って言い放った。
「生きては、いまい・・・。」
言葉がもたらす衝撃に少年の顔が大きく歪んだ。青ざめた唇が微かに開き、戦慄くものの言葉は出ない。
やがてその場にがっくりと膝を付き、再び俯いて動かなくなった。
そんな痛ましい少年の姿をフラットは痛ましそうに見守った。
その時、上着の内ポケットで電子音が鳴った。
モバイル電話の着信音だ。
取り出したモバイル携帯の画面には、行方不明になった主の名前の表示があった。
(生きて、いたか・・・。)
思わず安堵の吐息が漏れた。哀しみに沈むナムに背を向け、声を落として電話に出る。
「補佐官、ご無事ですか?」
応答は間髪入れずに返ってきた。
電話の向こうは確かにサンダース本人だった。
『フ、フラット・・・よく聞け!
今から私の私邸に行って、隠し金庫の中の『例のモノ』を取ってこい。
・・・あ、暗唱番号は、25383963、だ・・・!』
声が露骨にうわずっている。明らかに様子がおかしかった。
「どこへ持って行くのです?」
『そ、それは、また後で指示する!早く行ってこい!』
電話は一方的に切れた。
フラットは携帯モバイルを見つめ、立ち尽くした。
サンダースが無事だったのは喜ばしいが、あの大爆発のどさくさで拉致されどこかに監禁されているらしい。
電話口の様子からして『例のモノ』を欲する何者かに脅されていると考えられる。
しかし、今のフラットにはどうでもいい事だった。
携帯モバイルを握る手が震え、顔にはいびつな笑みが浮かぶ。
彼はもう激しい疲労も傷ついた腕の痛みも、なにも感じられなくなっていた。
「用が出来た。行かなければならない。」
フラットは足下で項垂れるナムを見下ろし告げた。
「お前は帰れ。悪いが今は金を持ち合わせてない。後日改めて今日の詫びをしよう。」
「!? なんだよそれ!」
ナムがガバッと立ち上がった。
「勝手に人巻き込んで酷い目に遭わせといて、今更帰れって!?
しかも今なんつった?! 金!? 金で俺の舎弟が生き返るのかよ?!ふざけんな!!!」
顔に目がけて少年の拳が飛んできた。
おとなしく殴られてやるべきだったが咄嗟に体が避けてしまい、ナムはつんのめって倒れてしまった。
心は痛むが時間が惜しい。逸る気持ちに急かされてフラットはナムに背を向けた。
「待てよ、おい!」
歩き始めた彼の背中を、悲痛な声が引き留める。
「今更・・・一人にすんなよぉ・・・。」
思わず振り向いた。
地面に頽れ泣くのを必死で堪えるナムは、ひどくはかなく、幼く見えた。
陽気で威勢の良かったこの少年は、この裏通りの貧民街で弟分を庇いながら随分無理していたのだろう。
そのたった1人の家族を失い、今またフラットに去られようとしている。孤独に怯える少年の姿が、遠い日の記憶を呼び起こした。
(兄さんもそうだった。 まだガキだった俺を守るために 、本当は弱いのにいつも強がっていた。
あの時、兄さんもまだ子供だった。こいつと同じくらいの年齢だった・・・。)
頭を軽く横に振り、哀しい追憶を振り払う。
今はそれどころではない。
この機会を逃すわけにはいかないのだ。自分の為にも、兄の為にも!
フラットは目を反らし、すがりつくような少年の目線をさけた。
「すまないが連れてはいけない。これから俺が行く所は危険だ!」
「今までだってそうだったろがよ!」
「今までよりも危険を伴う。お前も命を落とすかもしれん。帰れ!」
「い、命落とすって・・・。アンタ、まさか死ぬ気なのか!?」
「お前には関係ない。付いて来るな!」
「なんだってんだよ、今の電話の所為なのか?!あの極悪面オヤジからだったんだろ?!
・・・っておい、どこ行くんだよ!?」
再び歩き始めたフラットの様子に何かを察し、ナムが必死で付いてくる。
邪険にすればするほど追いすがる。先を急ごうとするフラットの足は次第に速く、忙しくなった。
「何があったか知らねぇけど、アンタさっき、あのオヤジに利き手ケガしたからって見捨てられてたじゃんよ!
あんな人でなし、もう放っときゃいいだろ!?」
「・・・付いて来るなと言っている!!!」
「わかんねぇな!なんだってそんなにあのオヤジに尽くすんだよ!?
人を使い捨てるような奴なんだぜ?!いくら政府のお役人でもさ、やっていい事と悪いあるだろーがよ!!!」
「・・・。」
「だいたい、連邦政府の役人がボディガードに無戸籍の人間雇うってトコからおかしーんだ!
あのオヤジ、最初っから何かあった時捨て駒にするつもりだったんじゃねぇのか!?
ンな奴の為にこれ以上、身体張る意味あるのかよ!?」
フラットは立ち止まった。
何かがおかしい。
胸がざわつく違和感に、フラットはしばし呆然となる。
『いくら政府のお役人でもさ、やっていい事と悪いあるだろーがよ!!!』
『だいたい、連邦政府の役人がボディガードに無戸籍の人間雇うってトコからおかしーんだ!』・・・。
間違ってはいない。
どんな身分の人間だろうと非道が許されるはずはないし、サンダースは何かの折に自分を捨て駒にするつもりだったのだろう。
しかし・・・。
(なぜ、サンダースが 連邦政府の役人 だと知っている?
確かに俺は奴を「補佐官」と呼んではいたが、学のない貧民街のチンピラがそれだけで政府役人だと気付けるとは思えない!
なぜ俺が無戸籍だと知っている?
サンダースの役職はともかく、俺自身の私的な情報は一度たりとも言って無い!!!)
全身が総毛立った。
裏路地での車の襲撃、地下下水道水路での攻防、女店主の酒場で起った乱闘、そして奇襲。あの 怪しげな「諜報傭兵部隊司令官」とコンタクトを取った直後から起こった数々の修羅場が脳裏をよぎる。
全てはこの少年と出会い、彼が導き案内した場所で遭遇している・・・!!!
その事実に気付いた時。
フラットはゆっくり振り向き静かに問うた。
「・・・お前・・・何者だ・・・?」
突然投げかけられた意外な問いに、ナムは驚き固まった。
両目を見開き訝しむ。怪しい様子まったく見えない。ごく自然な態度だった。
しかし、その一瞬後。
「・・・ここでバレるのは、ちょっと早い。」
彼はニンマリ笑って見せた。
ふてぶてしく、狡猾に!!!
「ま、でも・・・ 想定内 !!♪」
シルクハットに指を添え、ナムがおどけて一礼する。
そして驚愕に立ち尽くすフラット目がけ、地を蹴り真っ直ぐ突っ込んで来た!
「!!?」
目視ができない早さだった。一気に間合いを詰められる。
咄嗟に身構えたフラットの肩にズシリと強い力が掛かり、空のはずのショルダーフォルスターが重たくなった。
見ると下水道の乱闘で無くした銃が入っていた。
呆然となるフラットに、頭上から陽気な声が掛かる。
「それ、返しとくな?
俺さ、アンタの事、本気で心配してんだぜ。
・・・あんま無茶すんなよな!」
高く積まれた廃材の上でショッキングピンクの怪しい影が手を振った。
その言葉を残して闇へと消える。実に見事な「退場」だった。
フラットの肩を踏み台にして廃材の山に飛び移ったのだ。
素人の成せる技ではあり得ない。