忘却魔法は魔女には不要!
8.生麦生米生卵!!!
王城北側に、荘厳な石造りの宮殿がある。
この国自慢の国立図書館だ。
かなり大きな建物で、地上3階・地下1階。世界中から集められた書籍・魔法書がぎっしり詰まった、巨大な知識の宝庫である。
誰でも気軽に利用できるが、それは地上の階だけ。
地下階は閲覧禁止の重要魔法書が納められていて、立入りできる者が限られている。
その地下階の一角に、さらに厳重に管理された小さな陳列棚がある。
大魔女はそこからぶ厚い本を取り出した。
魔女・魔道士詠唱呪文大全集 。
思い出深い本だった。
少女時代、怒った父親に罰として書き写しを命じられた事がある。
「ホントは二度と見たくなかった本なんだけどね。
この際、そんな事言ってられないわ。」
「二度と見たくなかった? なんで?」
「・・・またいつか説明してあげる。」
暗がりの中、ランタンの明かりを頼りに歩き、閲覧テーブルに本を置く。
大魔女の首飾りに指を添え、羊皮紙の表紙に右手をかざすと、本は淡く輝いた。
そして独りでに大きく開き、ある頁を導き出した。
「あった! これよ!」
大魔女は頁の見出しを指し示した。
王家守護魔法名大結界 。
古典的な文体で大きくそう記されていた。
「王家守護魔法名? なんだそりゃ?」
「そうね、説明が必要ね。
・・・ねぇ、何か羽織って? 風邪引いちゃうわ。」
今更ながら気付いたが、夫は風呂上がりで上半身裸。
羽織れる物を探して辺りを見回す大魔女を、悪戯っぽくオスカーが笑う。
「何照れてんだ? 勝手知ったる夫の裸だろ?」
「 羽 織 り な さ い っっっ!!!」
金のローブを脱いで丸めて、オスカーの顔に投げ付ける。彼が渋々肩に掛けるのを見届けてから、改めて本の書面に目を落とした。
「まだ貴方には言ってなかったけど、魔女が産んだ娘には、通常 父親 が名前を付けるの。
その名前に母親が魔法を掛けて 呪文 にする。
それが 魔法名 よ。
これには家族の絆を深める意味があるの。まぁ、名付けの儀式みたいなものね。」
「その儀式で名前が『禁忌の呪文』になるわけか。
大魔女のお前は『婚姻の呪文』だったわけだが。」
オスカーは腕を組み、興味深そうに頷いた。
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魔女の名前は「禁忌の呪文」。
家族ではない他の誰かに名前を呼ばれたその魔女は、魔力を失い人間になる。
しかし、大魔女だけは少々違う。
大魔女の名前は「婚姻の呪文」。
彼女を名前で呼んでいいのは、この世界でただ1人。
共に国を守り導く、彼女の「夫」だけである。
長姉の元魔女や双子の元魔女達は、今の伴侶に名前を呼ばれ 人間 になって結ばれた。
大魔女であるミシュリーは、オスカーに名前を呼んでもらい、彼はこの国の 王配 となった。
「禁忌の呪文」と「婚姻の呪文」。
どちらも魔女の人生を決める至極強力な魔法呪文である。
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「でもね、名前に込められる魔力は『禁忌』や『婚姻』だけじゃないの。
父親の深い愛情を、母親の魔女が魔力に変換させた『守護』の力。それを利用して強固な結界を張るのが『魔法名結界』よ!
その中でも、国家君主たる大魔女とその血縁者を護るのが『王家守護魔法名大結界』。
強い守護力は強烈な撃退魔法にもなり得るわ。どんな魔法でも完璧に弾き返しちゃうの。」
書面に書かれた説明文を指でたどり、大魔女は小さくうなづいた。
「やっぱり! 『王家守護魔法名大結界』は、大魔女にしか使えないんだわ。
ほら、ここに書いてある。」
「使いこなすにはとんでもなく強い魔力も必要ってワケか。
そんなの唱えてお前、大丈夫なのか?」
「平気よ。お姉様や妹達の為だもの。
これでみんなを守られるわ。・・・ただ・・・。」
大魔女の柳眉が少し曇った。
「 ティナ は守護を得られない。
あの娘はお父様が居なくなってから生まれたの。
名前はお母様が付けたから『禁忌の呪文』ではあっても守護力はないのよ。」
「ふむ。なるほど。」
オスカーがニヤリと笑って見せた。
小さなランタンが照らす彼の笑顔は、とても頼もしく感じられた。
「俺の役目が見えてきたな。
可愛い義妹は俺が護る。だからお前は何が何でも、物忘れ野郎をぶっ飛ばせ!」
「もちろんよ! ありがとう、ヨロシクね!」
深い愛情と信頼を込めて、夫婦は互いに笑み交す。
(この人と一緒になって、本当によかった・・・。)
心から、そう思う。
相も変らず恥ずかしがって、素直に口には出せないのだが。
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翌日の午後、大魔女は自室に元魔女達を招集した。
あれから改めて調べてみると、やはり他国に嫁いだ妹達も 夫の記憶 を奪われていたのだ。
忘れかけていた妹もいれば、すっかり忘れてしまっている妹もいた。大魔女が公務に追われる午前中、オスカーが対応に駆け回ってくれたお陰で、全員何とか事なきを得た。
それぞれの夫に会わせた結果、記憶を取り戻せたのだ。
報告を聞いた元魔女達は、胸をなで下ろして喜んだ。
「とりあえずよかったわ。
オスカーに感謝しなくちゃね。」
ホッと小さく吐息をついて、長姉の元魔女が微笑んだ。
「えぇ、まぁ・・・そうね。」
大魔女は顔を赤らめ口ごもる。
昨夜の事を思い出したのだ。オスカーには感謝しきりだが、取り乱して派手に喚いた自分が少々恥ずかしい。
「怖いわ。誰が何のためにこんな事するのかしら?」
「まるで、私達全員に恨みでも持ってるみたい。」
不安げに呟いたのは、双子の元魔女達。
2人一緒に長椅子に座り、心配そうに眉を潜めている。
「大丈夫よ。今まで後手に回っていたけど、ここから先は攻めていくわ!」
大魔女は座っていたソファから立ち上がった。
「おそらく鍵となる人物は、行方不明の お父様 。
彼がこの一連の事件の原因や事情、もしかしたら 敵の正体 も知ってるかも知れない。
捜しましょう、お父様を!」
「・・・お父様?」
元・4番目の魔女が遠慮がちに囁いた。
「お父様は、その、他の女性と・・・。」
「浮気して逃げた?
もしそうなら、戦死や病死よりはマシかもね♪」
大魔女はクスッと笑いを漏らす。
「心配しないで。たぶんそれは真っ赤な 嘘 よ。
私達は夫の記憶を奪われる前に、 お父様の記憶 を奪われていたんだわ。
悲しい事に 顔も 声も !」
「 !!? 」
元魔女達は騒然となった。
「そんな! 私はちゃんと覚えてるわよ!?
お父様は背が高くて、面長で優しいお顔だったわ!」
声も高めで、おだやかで・・・。」
「まぁ違うわ!
身長は低かったけど、ガッシリ逞しい方だったわ!
声は低くてしゃがれていたし!」
「いいえ、私の記憶では痩せぎすだった。
でも、女性的で端正な顔立ちだったの。
よく通る深みのある声だったわ・・・。」
元魔女達は口をつぐんだ。
後はただ、愕然と顔を見合わせるばかりだった。
「まさか、自分が信じている お父様のお姿 まで 偽りだったとは思わなかった。」
茫然自失の姉妹を眺め、大魔女は悲しげに呟いた。
「姉妹でお父様の記憶が違うのには何か理由があるはずよ。
それを突き止めるためにも、お父様を捜しださないと!
・・・お姉様! 名前 を言ってみて!」
いきなり呼ばれて名前を聞かれ、長姉の元魔女は目を丸くした。
「どうしたの、急に?
セーラ よ。知ってるでしょ?」
「普段の呼び名じゃないわ。魔女だった時の名前 を確認したいの。
魔女の名前は長いんですもの。実の姉妹の名前とは言え、完璧に覚えてる自信が無いわ。」
「 !? 」
聡明な姉は何かを察し、自分の隣でスツールに座る一番下の妹を見た。
慎み深く控えるティナが、さっきから熱心に読んでいる本。
「魔女・魔道士詠唱呪文大全集」。
その本に書かれた最高位の結界魔法は、かつて優秀な魔女だった彼女も知っていた。
「『王家守護魔法名大結界』を発動するのね。
でも待って。それだとティナが・・・。」
「大丈夫。ティナはオスカーが護ってくれる。
彼には策を授けてあるの。ティナ、安心なさいな。」
「はい、大魔女のお姉様。」
ぶ厚い本から顔を上げ、ティナがニッコリ微笑んだ。
絶大な信頼を感じる笑顔に、大魔女も優しく微笑み返す。
そして姉や双子の元魔女達の顔を、強い意思を込めて見つめ直した。
「大結界を発動するには、みんなが魔女だった時の 名前 が必要よ。
お父様から頂いた名前。それが『王家守護魔法名大結界』の呪文なの。
これで『忘却』を防げるし、妨害される心配も無い。
お父様の 真実 を、心置きなく探る事ができるのよ!」
「わかったわ。捜しましょう、お父様を。」
長姉の元魔女が頷いた。
「 セリーナ・セイエブナ・セレンディピティ・セーラ 。
これが私の 魔法名 よ。」
双子の元魔女達も互いの顔を見合わせ頷く。
「 ライラ・ラターシアンヌ・ラーパティカ・ララ ですわ。
今は ララ・マクミラン ですけれど。」
「 ルリーン・ルーシーメイ・ルクレツィア・ルル です。
変な気分ですね。もうこの名前は使わないと思っていたのに。」
「そうね、ちょっと不思議な感じね。」
妹達の困惑顔に苦笑しつつ、大魔女は拳を握りしめた。
「とにかく、一刻も早く『王家守護魔法名大結界』を発動させなきゃ!
そこから一気に反撃開始よ!
お父様を捜し出したら、敵を見つけ出してコテンパンにしてやるわ!!!
先ずは、他の妹達にも連絡を取って 魔法名 を確認して・・・。はっ?!」
ハタ、とそこで気が付いた。
大魔女の顔が青ざめる。魔法名一番の厄介事に、今更ながら気が付いたのだ。
彼女はぎこちなく姉妹達の方へ振り向くと、オズオズ不安を口にした。
「 唱えるの? 私が? 1 2 人 分 ???」
怯む大魔女に追い打ちを掛けたのは、長姉の元魔女事、セーラだった。
ティナと一緒に「魔女・魔道士詠唱呪文大全集」に目を落とし、「王家守護魔法名大結界」の頁を眺める彼女は、ポツリと小さく呟いた。
「しかも、
30 秒 以 内 に詠唱の事 って書いてあるわよ?」
「・・・。」
長ったらしい魔法名を、12人分30秒以内 ???
姉妹達が静まり返り、辺りの空気が重くなる。
「先ずは 早口言葉の練習 ですね。」
ティナが真顔で呟いた。
急に目眩を感じた大魔女は、ソファにグッタリ倒れ込んだ。