忘却魔法は魔女には不要!
15.大魔女様は眠れない
遙か昔、強大な魔力で人々を護り導き世界の基礎を築いたという『古の魔女』。
彼女は後世の人々を思い、魔力をこの世に残して逝った。
その魔力を「器」に注ぎ、『古の魔女』の復活を図った 影 が居た。
愚者が残した残留思念。
魂無き執着の念は、ティナを「器」に選んで拉致し、『古の魔女』の魔力を注ぎ込んだ。
しかし。
愛しい魔女の復活はならず、哀れな影は大魔女の力で浄化されて消え失せた。
『古の魔女』の莫大な魔力はティナの中にそのまま残され、再び魔女になるのを拒んだ彼女の意思により譲渡された。
姉の大魔女、ミシュリーに。
その際、魔力が僅かに残り、ティナは「少しだけ魔女」になった。
一方、ミシュリーは紛う事なく 世界最強の魔女 になった。
大魔女としての自身の魔力と『古の魔女』が残した魔力。
今の彼女は強大な力を2つ併せ持つ、世にも稀有な存在だった。
---☆☆☆---★★★---☆☆☆---
静寂の時間が訪れた。
清々しくも厳粛な静けさの中、大魔女はそっと目を開く。
あのどす黒い醜気は残っていない。暗闇だった異空間は、光溢れる真っ白な世界に変貌していた。
降り注ぐ光に何かを感じ、上を見る。
金色の光に満ちて輝く広大な空。その遙か高みに 大きな光の渦 が見える。
美しい金雲を纏った渦は、ゆったり大きく回転しながらと上へ上へと立ち昇って行く。
異空間である事を忘れてしまいそうな、素晴らしく壮大な光景だった。
荘厳に輝く渦に見とれ、大魔女は暫しの間佇んだ。
やがて静かに目線を落とす。
そこには蹲りすすり泣く 白いローブの魔女 が居た。
俯き嘆く魔女に近づき、その傍らに跪く。
その気配を察したようだ。かつて 忘却の魔女 と呼ばれ、今は 俯き加減の魔女 に戻った女性が掠れた声で呟いた。
「・・・私、悪い事をしたわ。
貴女のお父様を・・・18年も・・・!」
「いいのよ、それは。もういいの・・・。」
大魔女は首を横に振る。
そして俯き加減の魔女の肩に、そっと優しく手を置いた。
「貴女、気付いていたのね。
復讐なんて意味は無い。そんな事したって誰も幸せになれないんだって。」
「・・・気付いていたわ。もう随分昔から。」
俯き加減の魔女は頷いた。
「 人を憎む って、哀しい事ね。
疲れたわ、とても。
疲れて疲れて、疲れ果てて、ある日突然思い出したの。
不実の魔道士と出会う前、魔法研究に没頭していた頃の私は、確かに幸せだったって。」
戦慄く両手で顔を覆い、魔女はますます俯いた。
「苦しい事や辛い事もたくさんあった。
でも新しい魔法が生まれた時は、本当に嬉しくて誇らしかったわ。
あの頃に還りたい。もう人を憎みたくない。
そう思ったの。だけど・・・。」
「その頃には、あの忌々しい醜気の群れに捕まってたのね?」
「えぇ。逃げられなかったの、どうしても!
憎みたくないって思えば思うほど操られたわ。
心の中にまで入り込んで、怒りや憎しみを煽ってきて・・・。苦しかったわ!」
声を震わせ嘆く魔女が、酷く儚げで痛ましい。
人の身勝手に苦しんだ魔女を、さらに苦しめた醜気の影。大魔女はその正体を知っている。
つい最近、古の魔女の力をめぐって一戦交えたばかりだった。
「アイツらはね、死者がこの世に残していった 執着 という名の残留思念よ。
貴女の憎悪が呼び寄せてしまったの。人を憎む醜い思念を、長い間にあんなに多く。
強すぎる思念は『自我』を持って人に害を為す事があるわ。
貴女を捕らえて魔力を利用する。そんな智恵を持っていたのね、実体の無い影のくせに!」
「ごめんなさい。
本当に、なんてお詫びしていいか・・・!」
「止めて。どうか謝らないで。」
大魔女は再び首を横に振る。
さっきよりも大きく強く、ありったけの思いを込めて。
「貴女をそこまで苦しめたのは、あのふざけた王配よ。
そんな男を伴侶に迎えた当時の大魔女も同罪だわ。仮にも大魔女を名乗る者が、あんな下衆で人を見る目が腐り果ててる屑で無情な人でなし!な男の本性を見抜けないなんて!
情けない! 同じ大魔女として恥ずかしいわ!!!
・・・その2人はもういない。だから、子孫である私に代わりにお詫びをさせて。
ごめんなさい、本当に。
貴女を倒さなくてよかったわ。
本当に本当に、ご め ん な さ い ・・・!」
俯き加減の魔女が床に突っ伏しむせび泣く。
震える彼女の小さな背中を、大魔女は優しく撫でた。
そんな2人に空の高みの光の渦が、金の光を投げ掛ける。
全ての思いを吐き出すように、俯き加減の魔女はひたすら泣き続けた。
その涙が長い時間を掛け、ようやく尽きてきた時に。
大魔女は光の空を仰ぎ、努めて陽気に声を掛けた。
「さぁ、行かなきゃいけないわ。
貴女がこの世に居ていい時間は、とっくに過ぎているはずよ?
『輪廻の輪』の中に還りなさい。
次の新しい人生のために、新しい場所へ行かなければ!」
空に渦巻く『輪廻の輪』。
負の柵から解き放たれた俯き加減の魔女を迎え入れるため、現れた巨大な光の渦。
俯き加減の魔女が頷いた。
立ち上がる彼女に手を貸しながら、大魔女はある事を提案する。
「ねぇ。名前を教えてくれない?」
「・・・え?」
俯き加減の魔女がほんの少しだけ顔を上げた。
「どうして?
私が魔力を無くす事に、今更何の意味があるの?」
「そうね、思いがけない提案よね。
魔女の名前は『禁忌の呪文』。家族以外の誰かに名前を呼ばれた魔女は魔力を無くしてしまう。
でも、それが目的じゃないわ。
『魔女・魔道士詠唱呪文大全集』を改訂したいの。
新しい全集には著者として、貴女の名前を必ず載せるわ。
今、存在する魔法のほとんどが、貴女が生み出した魔法を基礎に発展・開発されたもの。
それを知らしめるために編集し直して、一般向けに発行するのよ。図書館の閲覧禁止棚に飾っておくんじゃなくってね。」
「・・・!!!
・・・ありが、とう・・・!!!」
俯き加減の魔女が再び熱い涙を流す。
今度の涙は歓喜の涙。胸が震える喜びに、魔女は初めて真っ直ぐ顔を上げた。
「あら、貴女、笑うととても可愛いじゃない!」
大魔女は思わず微笑んだ。
お世辞ではない。確かに彼女は愛らしかった。
細かく縮れた黒髪は、よく見ればとても個性的。
歪につり上がっていた灰色の目も、憎悪の色が抜けた今ではつぶらでとても可愛らしい。
おまけにふっくらとした白い頬には小さなえくぼが浮かんでいる。
優しい人柄がにじみ出る、素朴で可憐な笑顔だった。
「・・・ありがとう・・・。」
魔女は頬を朱に染め恥じらった。
さらに愛らしく、綺麗だった。
「そうだ! ねぇ、最後に一つ教えて?」
晴れやかな笑顔で空を見上げ、今にも飛び立とうとする俯き加減だった魔女に、大魔女は慌てて声を掛けた。
謎が一つ、残っている。
忘却にまつわる一連の騒動。その発端となった あの謎 が。
「私達に嘘の父親の記憶を植え付けたの、貴女でしょ?
どうしてあんな事したの???」
「気付いて欲しかったからよ。
たぶん、貴女に・・・。」
俯き加減だった魔女が、申し訳なさそうに微笑んだ。
「18年前、私は貴女のお父様に忘却の魔法を掛けた。
その時、彼がこう言ったの。
『私達には あの子 が居る。だから何も恐れていない。』って。
彼の言う『あの子』は、12人居る娘さん達の『誰か』なんだと思ったわ。
だから、私もその子に賭けてみたの。
忘却魔法は強力よ。貴女達は父親について考える事すら滅多になかったはずだわ。
でも、姉妹で父親の記憶が違えば、いつかその子が違和感に気付く。
忘却の呪いから父親を救い、私も救ってくれるかも知れない。そう思ったの。
貴女のお父様は立派な方ね。
この日が来るって 知っていた んだわ。
だって、貴女が来てくれたんだもの!」
( お父様 ・・・。)
泣きたい気持ちをグッと堪え、大魔女は何とか微笑んだ。
旅立とうとしているこの魔女を、最後まで笑顔で見送りたかった。
「そう、だったのね。
ごめんなさい、期待してくれてたのに18年も掛っちゃって・・・。」
「そんな、謝らないで!
助けてくれて、ありがとう。」
俯き加減だった魔女が再び、空の高みへ目を向ける。
「いつか、私も出会えるかしら。
ちゃんと私を愛してくれる、優しくって誠実な人に・・・。」
「私のお父様みたいな?」
「えぇ。それと、貴女の ご主人 みたいな。」
「 え? 」
思いがけない言葉に驚いた。
俯き加減だった魔女の右手、人差し指がクルリと宙に円を描く。
魔法陣が浮かび上がり、すぐに鏡に変化した。
何かを映し出している。
大魔女の城・大広間。
玉座前の光景だった。
「 オ ス カ ー ・・・。」
小さく呟く大魔女に、俯き加減だった魔女が微笑んだ。
「もう随分前からずっとあそこで、貴女の帰りを待っているわ。
さぁ、行ってあげて? 幾久しく、お幸せに!
さようなら、偉大なる大魔女よ。
本当にありがとう、さようなら・・・!!!」
何か言葉を口にすれば、我慢できなくなって泣いてしまう。
大魔女は無言で微笑んだ。
---★★★---☆☆☆---★★★---
こうして 忘却の魔女 と呼ばれた魔女は去って行った。
自分の名前をこの世に残し、次の人生の幸せのために。
彼女は空高く舞い上がり、『輪廻の輪』へと吸い込まれていった。
『輪廻の輪』もまた次第に薄れ、光を残して空に消えた。
何も無くなった異空間に、大魔女は一人佇んでいた。
空間が収縮していく気配を感じる。
異空間が閉じようとしているのだ。
( 私も早く帰らなきゃ。
・・・オスカー、私を受け止めて・・・!)
首飾りに指を添え、目を閉じ精神を集中させる。
魔石がキィン!となった瞬間、身体がふわりと宙に浮いた。
---♡★♡---♡★♡---♡★♡---~♡♡♡
ドサ!
誰かにしっかり抱き留められた。
「よぅ、お疲れ!
怪我とかはなさそうだな。」
陽気な声に心が和む。大魔女はそっと目を開いた。
愛しい夫が笑っている。
それが何より、嬉しかった。
「うん、疲れた・・・。とても眠い・・・。」
「お前、ここ数日ほとんど寝てないからなぁ。
いいぜ?このまま眠っても。目が覚めるまでずっと一緒にいてやるから。」
「・・・うん・・・。」
この笑顔を見ていたい。そう思うのだが瞼が重い。
再び目を閉じる代わりに、夫の胸に頬を寄せた。
その温もりに恍惚となる。俯き加減だった魔女の言葉が思い出され、クスッと小さく笑いが漏れた。
(幾久しく、幸せに。
そうね、できればこのままずっと・・・♡)
抱きしめていて欲しいと、切に思った。
いつの世でもそんな願いは、大抵叶わないのだが。
「まぁ、お可愛らしい♡!
2の姉様があんなお顔なさるなんて♡♡♡」
「愛し合っていらっしゃるのね、素敵っ♡!
やっぱりオスカー義兄様は特別なのね♡♡♡」
「シー!だめよ貴女達。
こういう時はね、そっと見守ってあげるものよ♡♡♪」
「・・・。」
オスカーの肩越しに、声が聞こえた方を見る。
双子の元魔女がキラキラした目で、こっちをジッと見つめていた。
長姉の元魔女もご同様。ウットリとした面持ちで、夢見るように見守っている。
早々に目を覚ましたようで、ティナまでちゃんとそこに居た。頬染め俯く彼女の隣で、気を利かせたソラムが明後日の方を向いている。
一番いたたまれないのは寡黙な大臣=父親。
彼も一緒に居る事だった。
( 良きかな、良きかな♪ )
そう言いたげに頷く彼は、生暖かい目をしてる。
眠気も疲れも吹っ飛んだ。
顔から火が出る思いを味わい、大魔女は思わず絶叫した!
「 きゃーーーーー っ!?
みんな、居るなら居るって言ってよーーーっっっ!!!」
耳をつんざく金切り声に、大広間の外から聞こえる悲鳴が重なった。
忘却の魔法が解けたのだ。忘却に翻弄されていた家臣や女官・魔道士達が、正気に返って錯乱している。
王城内はこれまで以上の大混乱に陥った。
それは城下街でも同じ事。
王都中から聞こえてくる悲鳴や怒声、大爆笑。阿鼻叫喚の騒動は大きくなっていくばかり。
大魔女は今日も眠れない。
王都の街がその日常を取り戻すまで、休息・安眠、ましてや トランプは、どう考えても 不可能 だった。