忘却魔法は魔女には不要!
14.真の敵との対決
黒い靄が飛び交う大魔女の私室。
広い居間の中央で、魔法陣鏡に両手をかざすティナが突然、よろめいた。
「 !? ティナ!」
霞を払い続けるオスカーは、左手の動きを一瞬止める。
倒れかかった少女の身体は、ソラムが慌てて抱き留めた。
同時に、忘却の魔女の過去を映し出していた過去見の鏡も消え失せた。
魔力が尽きてしまったらしい。恋人の腕の中で頽れるティナは、顔色が少し悪かった。
「ありがとう、ソラム。
ずっと側に居てくれたのね・・・。」
「俺にはそれくらいのことしか出来ないから・・・。
大丈夫? どこか苦しい?」
「いいえ、疲れただけ。
オスカー義兄様の指輪を通じて、大魔女のお姉様にも魔法陣鏡を送っていたの。
ちょっと難しい『離れ技』だったから、魔力の消耗が激しくて・・・。」
弱々しくも微笑むティナに、オスカーは一先ず安堵した。
深刻な痛手はなさそうだ。ティナの介抱はソラムに任せ、霞払いに集中する。
黒い靄は次から次へと沸いてくる。
ひたすら払い続けていても、一向に減る気配がない。
「なんて事を! 許せませんわ、あの王配!
魔道士の風上にも置けなくってよ!!!」
「度し難い輩だわ!
もし今、目の前に居れば跳び蹴りでも食らわせてやるのに!!!」
「落ち着いて、4番目。
5番目、蹴りはお止めなさい、蹴りは。」
いきり立っている双子の元魔女を、長姉がやんわり窘める。
「確かに酷い話ね。でも、もう850年も前の話なのよ?
いくら当時の王配が 下衆で人を見る目が腐り果ててる屑で無情な人でなし! だったとしても、その子孫まで延々呪い続けるだなんて・・・。」
「君も件の王配が許せないんだね? セーラ。」
寡黙な大臣=父親が苦笑した。
「憎悪や怨恨は一度心に根ざしてしまえば、そう簡単に消せるものではない。
子々孫々、末代まで恨み続ける。そうしないではいられないほど、忘却の魔女は苦しんだのだろう。
痛ましい事だ。我々に何かできる事があればいいのだが。」
元魔女達は一様に、悲嘆に暮れて項垂れた。
「大丈夫です、お父様。」
か細いながらも凜と言い切る声がした。
俯いていた顔を上げ、元魔女達とその父親が弾かれたように振り返る。
ソラムに抱き支えられた、末妹にして末娘。
彼女は半ば意識を失い掛けてなお、家族に向かって微笑んだ。
「 大魔女のお姉様 がいらっしゃるわ。
忘却の魔女さんはもう大丈夫。悲しい思いをしたあの方を、お姉様が放っておくわけありません。
私、ミルクティーを淹れないと・・・。
お姉様がお帰りになったら・・・。
みんなで、お茶を・・・・・・。」
咲いていた花が閉じるように、ティナが静かに眠りに落ちた。
オスカーは小さく苦笑を漏らす。
大魔女の姉は必ず帰ると、「信じる」よりも「知っている」。
そんな思いが伝わってくる口ぶりだった。
オスカーは寡黙な大臣=父親に目配せをして呟いた。
「夕べの話は、ミシュリーから聞いた。
父娘だな。ティナは間違いなく父親似だ。」
「・・・。」
寡黙な大臣=父親が無言で静かに頭を下げる。
いつも通りの礼儀正しい「家臣」としての一礼だったが、どこか誇らしげに見えた。
お"オ"お"ぉ"ォ"ぉ"ーーーーーっっっ!!!
突然、猛り狂った獣の咆吼に似た凄まじい怒号が響き渡った!
それと同時に居間の至る所から醜気が吹き出し、辺りを黒く塗り潰す!
宙を飛び交う黒い靄も、もの凄い勢いで増えていく。
しかも王城のあちこちから人々の悲鳴が聞こえてくる。
オスカーは驚き、戦慄した!
「なんてこった! 城の者達を襲ってるのか?!」
「危ない、オスカー!」
危機を知らせる長姉の声に、考えるより身体が動いた。
振り向き様に左の腕を、思いっきり薙ぎに振る。
背後から襲い掛かろうとしていた黒い靄が、指輪の光で消え失せた。
しかし、邪悪な靄は増える一方。その全てが不気味に蠢き、ティナを狙って飛来する!
「王配殿下! こちらへ!」
寡黙な大臣=父親が必死の面持ちで呼びかける。
「ティナとソラム君を連れて大結界の中へ!
オスカー様、お急ぎを!!!」
「『様』付けは不要だ、義父さん!」
左腕を振り回しながら、オスカーは義父に言葉を返す。
「これからは敬語もやめてくれ。
先の王配に遜られちゃ、義母さんにぶっ飛ばされる!」
咄嗟に軽口叩いてたものの、その場からは動く余裕はない。
敵の数が多すぎるのだ。
襲い掛かってくる黒い靄を散らすだけで精一杯。意識ないティナとソラムを連れて、走る事などとてもできない。
(絶望的な状況だな! 持ちこたえられるか?!)
疲労し始めた左腕が重い。
オスカーは、歯を食いしばった。
そ の 時 ・・・!
キ ィ ン !
澄んだ、美しい音が鳴り響いた!
「 ミシュリー !!?」
先の王配と現王配、父親とオスカーが同時に叫ぶ!
その瞬間、オスカーの左手指輪から、眩い光が迸った!
大魔女が放つ清浄の光。
浄化の光は部屋中に広がり、壁や天井、床を突き抜け王城中に広がっていく!
お" オ "ォ" ぉ"ーーー・・・!!!
醜気は祓い清められ、黒い靄も消えていく。
邪悪なものを全て飲み込み、光は薄れて消えていった。
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静まり返った大魔女の私室に、再び穏やかな朝日が差し込む。
さっきまでの混乱が嘘のように清々しい。オスカーは大きく吐息をつくと、ティナを抱きしめ蹲っているソラムに優しく声を掛けた。
「もう大丈夫だ。ティナをそこの寝椅子に寝かしてやってくれ。
立派にお姫様を守り抜いたな。良くやった、ソラム!」
「・・・え? あ、はい!」
ソラムがそっとティナを抱き上げ、言われたとおり寝椅子に運ぶ。
末妹の按じる双子の元魔女達も、慌てて寝椅子に駆け寄った。
ティナが目を醒ます気配はない。しかし顔色は随分良くなっている。
オスカーは再び吐息をつくと、義父と義姉に声を掛けた。
「義父さん、義姉さん、ここは頼みます。」
「大広間へ行くのね? 危険は無いの?」
心配そうに尋ねる長姉に、オスカーは片目をつむっておどけてみせる。
「そろそろ決着が付く頃だ。
ミルクティーはティナが起きるまで待たなきゃならない。
それを伝えに行ってきます!」
すぐに義姉に背を向けた。
妻を按じる焦燥感を、何とか気取られないように。
さっき指輪を通じて放たれた魔法。醜気や靄を根こそぎ祓った浄化の光は、極めて強い魔法だった。
消費された魔力の量は、ティナが使った過去見魔法とは比べものにもならないはず。
忘却の魔女と戦いの最中、家族を救う魔法を放った妻が心底心配だった。
( 知ってる さ!
俺だって知ってる、アイツは絶対負けたりしない!
・・・だが、しかし・・・!!!)
オスカーは居間から飛び出した。
そんな彼を無言で見送り、寡黙な大臣=父親がそっと静かに頭を下げる。
( 娘を、お願いいたします・・・。 )
父親としての一礼だった。
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息が苦しく立っていられない。
異空間の冷たい床に、大魔女はガックリ膝を付いた。
指輪を通じて清浄の光を送り込み、王城中の醜気や靄を一片残らず浄化する。その「離れ技」は大魔女の心身に深刻な痛手を残していた。
強大な魔法は施術者にとても大きな負荷が掛る。
それはたとえ大魔女と言えども、例外ではない事だった。
『・・・小賢しや。なかなかやりおる。』
忘却の魔女が呟いた。
散々醜気をまき散らかして気が済んだのか、すっかり落ち着きを取り戻している。
肩で息する大魔女を、世にも醜い魔女が見下し微笑した。
『なれど、もはやその身に魔力は残っておるまいて。
この勝負、我の勝ちじゃ!』
「・・・その偉そうな話し方、何代前の大魔女のマネ?
玉座に引き籠もってる内に覚えたのね、ちっとも板に付いてないわよ?」
『減らず口を!』
蹲っていた忘却の魔女がゆらりと不気味に立ち上がった。
大魔女の方へ右手をかざし、短い呪文を詠唱する。
むっちりとした手のひらに光が宿る。
毒々しい紫の光が、大魔女を狙って妖しく揺らぐ!
『この光は 忘却 の光。
これを放てばそちの夫は、存在そのものが消え失せる。
なれど按ずる事は無い。そちにも忘却をくれてやろう。
夫同様、誰からも忘れ去られたまま孤独に生きていくがよい!』
己の勝利を確信し、忘却の魔女が狂ったように笑いだす。
耳障りな悍ましい声が、異空間に響き渡る!
『諦めよ、今世の大魔女よ! そちは我に負けたのじゃ!
我こそが最強の魔女!
我の魔力は大魔女をも凌ぐのじゃ!!!』
しかし。
「 お前達 の魔力じゃ、ないでしょう?」
『・・・なに?』
傲慢極まる哄笑は、大魔女の一言でピタリと止んだ。
半ば呆然となる忘却の魔女が、言葉の真意を聞き返す。
そんな相手を真っ直ぐ見据え、大魔女はニヤリと笑って見せた。
「派手に暴れてくれたわね。
そのお陰でやっと見えたわ!
忘却の魔女の 本当の姿 が!」
その通りだった。
己の過去を突きつけられ、異常に激昂した忘却の魔女は、随分 小さく なっていた。
身体に纏わり付いていた、幾重にも重なるぶ厚い醜気。その大半を怒りにまかせ、異空間の外へと吹き飛ばしたため姿が縮んでしまったのだ。
今、彼女が纏う醜気はほんの少ししか残っていない。
しかし幾つかの固まりに分裂し、人の姿 を模って魔女の身体にしがみついている。
不気味な醜気の黒い影。
そんな悍ましいものに捕らわれる、忘却の魔女は 泣 い て い た 。
涙溢れる双眸で、彼女は必死で訴える。
助けて、助けて、助けて!
どうか 私を 解放して・・・!!!
「その魔女をお放し!」
萎える足に檄を入れ、大魔女は何とか立ち上がった。
「実体の無い影のクセに、人を操るようなマネ、するんじゃないわ!!!」
『おのれ!』
『忌々しい!』
『大魔女め!』
どうやら「自我」があるらしい。人影達がざわめいた。
顔の部分に口と思われる切れ目が入り、各々不快なしゃがれた声で大魔女を罵り威嚇する。
『そちも!』
『忘却の呪いを!』
『受けるがいい!』
涙を流す忘却の魔女が、光が宿った右手を振った。
紫に輝く忘却の光が、大魔女目がけて放たれる!
パ ァ ン !!!
次の瞬間、乾いた音が鳴り渡った!
『 お"ォ"ォ" !!?』
人影達が一斉に叫ぶ。
飛翔する紫の光に、大魔女が 光弾 を放ったのだ!
清浄の光に撃ち抜かれ、忘却の呪いは四散し消えた。大魔女はすかさず反撃に出る。
胸で煌めく 大魔女の首飾り 。
その美しい魔石に左手を添え、右手を素早く薙に振る!
キィン!
忘却の魔女と人影達の足元に 魔法陣 が浮かび上がった。
魔法陣の外円から光が放たれ、忘却の魔女達を囲む壁になる。
1歩も外に出られない。人影達は身悶えた。
「最近北の魔法大国で開発された、世界最強の封印魔法よ。」
狼狽える黒い人影達に、大魔女は昂然と笑って見せる。
「本来ならこの魔法は、魔力強化の魔石を要所に配置して使うもの。
それだけ大量の魔力を要するわ。並の魔女・魔道士に使いこなせる魔法じゃない。
でも、大魔女である私には魔力強化なんて必要ないの!
少しは恐れ入ったかしら?」
『なぜだ!?』
『なぜそんな大魔法を!?』
『使えるのだ!?』
『そちにはもう魔力が!』
『無いはずなのに!!?』
黒い影達が口々に喚く。
魔法陣から逃げ出そうと必死でもがく姿が無様で見苦しい。
「確かに魔力は尽きている。
異世界の外に魔法を飛ばす『離れ技』を使った時に。」
大魔女は右手を高く上げ、意識を手の平に集中させた。
「でも、終わりじゃないわ!
私の中には私自身の魔力以外に、強い魔力が存在するの!」
清浄の光が右手に宿る。
目を射るほどの眩しい光が、闇の異空間を強く照らす!
「これは 古の魔女 から授かりし魔力!
遙か昔に世界を創った魔女が残した崇高な力!
終わりよ!
魂無き醜気の影よ、覚 悟 な さ い !!!」
光がさらに輝きを増した。
漆黒だった異空間が、白一色に塗り替えられる。
凄まじい光圧に目が眩み、大魔女は固く目を閉じた。