忘却魔法は魔女には不要!
13.過去見の鏡が見せたもの
( なんて醜い ・・・。)
そう思わずにはいられない。大魔女は密かに驚愕した。
目の前に現れた 忘却の魔女 は醜悪だった。
あまりにも醜気を纏いすぎているのだ。
どす黒い醜気に埋もれる魔女の、双眸がギラギラ不気味に光る。
嫌悪感さえ抱かせる化け物じみた様相だった。
『なかなかの美貌よの。今世の大魔女。』
忘却の魔女が口を開く。
皮肉のこもった口ぶりだった。
『険のある顔立ちだが、美しい。
そちから見れば我の姿は、汚物にしか見えまいて。』
「随分卑屈なのね。
言いたい事はそれだけかしら? どうせ無駄口叩くなら、私の家族やこの国の民をふざけた魔法で玩んでくださる理由を吐いて頂ける?
聞いてあげるくらいの情けは掛けてあげてよ?」
『気強いの。やれ、楽しや。』
肩を揺するようにして忘却の魔女がクツクツ笑う。
『その強情な美貌が悲嘆に歪む。さぞや愉快な「見もの」であろうて!』
大魔女は右手を前に差し出した。
その手に宿る清らかな気が、光の玉を形成する!
「たった今、お情けの時間は無くなったわ!
私を倒せる気でいるようね?
やれるものならやってごらん!!!」
清浄の光弾が闇を裂く!
醜気渦巻く異空間に、真っ白な光が迸った!
忘却の魔女も手をかざす。
丸まっちい手に集まる醜気は、不気味に蠢く火球となって大魔女へと襲い掛かる!
ドォン!!!
最初に放った一撃は双方互角。
光弾と火球は真正面から激しくぶつかり、衝撃を残して消え失せた。
すかさず次の一手を放ったのは、忘却の魔女の方だった。
素早く呪文を唱えると、両手を広げて宙を掻く。醜気が無数の鋭い刃となって、一斉に飛び交い大魔女を襲う。
忘却の魔女は続けざまに呪文を唱え、醜気の火球を幾つも作る。火球は防戦を強いられる大魔女を狙い、何度も執拗に放たれた。
冷気が吹きすさび、雷光が走る。ありとあらゆる攻撃魔法を繰り出すと同時に、相手の動きを封じて捕える封印魔法も放ってくる。
さすがというより他にない。息つく間もない攻撃に、大魔女は内心舌を巻く。
何とか攻撃に転じなければならない。
ティナに行って聞かせたように、この魔女は何が何でも倒さなければならない。
どんな事情があったとしても、民が忘却の餌食になるなど二度と遭ってはならぬ事。激しい攻撃をかわしながら、大魔女は相手の隙をうかがった。
(・・・ 今 !!!)
ようやく訪れた反撃の好機!
忘却の魔女が疲弊し始めたのだ。絶え間なく続いた攻撃魔法の呪文の詠唱。それが途絶えた瞬間を捕らえ、大魔女は左手に光弾を宿らせた。
・・・その時!
『待ってください、お姉様!!!』
暗黒の異空間に少女の声が響き渡った!
「 ティナ ?!」
末妹の声に気が削がれ、左手の光弾が消滅する。
しかし光弾とは違う光が左手薬指に宿っていた。
( 結婚指輪 が光ってる?! これはいったい!??)
指輪が放つ眩しい光が闇の異空間を照らしていく。
愕然となる魔女達の前に、突如大きな魔法陣が現れ宙に浮かんで 鏡 になった!
( 過去見魔法!?)
大魔女は思わず目を見張る。
煌めく鏡に映し出されたのは、遠い過去の物語。
それは約850年ほど前の、片田舎の小部屋から始まった。
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書物や魔法具で埋め尽くされたその小部屋では、ローブ姿の男女が楽しげに談笑していた。
魔道士の男性はまだ若く、なかなかの美形。溌剌としていて元気がいい。
一方、女性はローブのフードを目深に被り、面持ちがハッキリ見て取れない。
ふくよかな体つきの中年で、常に俯き加減だった。
「素晴らしい! 貴女は本当に優れた魔女だ!
貴女が生み出す魔法は全部、非の打ち所が全くない!!!」
魔道士が興奮気味に魔女だと呼んだ女性を褒める。
女性は頬を薄く染め、はにかんだように微笑んだ。
「そんな、大げさだわ。」
「大げさじゃない、最高だ!
貴女が創り上げた魔法ときたら、もの凄い魔法ばかりですよ!」
小部屋の真ん中にはテーブルがあり、手書きの書類が積み上げられた小さな山が幾つもある。
その一つから書類を数枚抜き出すと、丹念に眺めて魔道士は満足そうに頷いた。
「斬新で実用性に優れた魔法が数え切れないほどあるじゃないですか!
貴女のような天才魔女がこんな片田舎ので燻ってるなんて、ちょっと信じられないな。」
「・・・私、人と会うのが苦手なの・・・。」
俯き加減の魔女は悲しそうに呟いた。
「私、醜女ですもの。子供の頃から顔の事で、良く近所の男の子達にからかわれたわ。
だから、あまり家から出ないようにしてるの。魔法の研究をしてる事だって、他人にはほとんど言ってないわ。どうして私なんかの事を知ってたの?
王城付魔道士の貴方が訪ねてきた時は、本当にビックリしたわ。」
「天才ってのは隠れていても、結局見つけ出されるものですよ!」
魔道士が悪戯っぽく片目をつむる。それだけで魔女は首筋まで真っ赤になった。
「さぁ、もっと聞かせてください!
心的外傷を負った人を救う魔法があるんでしょ? どうやって彼らを癒やすんです?」
俯き加減の魔女が書類を片手に説明し始める。
懇切丁寧に話す彼女は、とても幸せそうだった。
この日から、若い王城付魔道士は度々訪ねて来るようになった。
魔法開発は楽ではない。
むしろ苦難の連続である。失敗や挫折は数え切れないほど経験するし、時には生み出す魔法が良くない作用を引き起こし、命を落とす事もある。
それでも魔女は魔法開発に勤め、言葉に出来ない苦労を重ねて多くの魔法を生み出した。
優れた魔法を生み出す度に、魔道士が喜びに褒めてくれる。
新しい魔法が出来上がる度に、熱心に話を聞いてくれる。それが何よりも嬉しかった。
2人はとても幸福だった。
少なくとも、俯き加減の魔女はそう思っていた。
「貴女が書き留めた魔法の資料を、しばらく僕に貸してもらえませんか?」
ある日、魔道士が願い出た。
「僕がキレイに清書してあげますよ!
こうしてバラバラにしておくより、いっそ製本しちゃいましょう!」
魔女は喜んで全ての資料を貸してしまった。
その日以来、魔道士はぷっつり来なくなった。
それからしばらく後。
この国を治める大魔女が 結婚 した。
新聞の一面に大きく書かれた婚礼の記事に、俯き加減の魔女は愕然となった。
( あの人が 大魔女様と 結婚・・・?! )
もっと信じがたい事が、記事には詳細に書かれていた。
【 この国の新しい 王配 は
魔法知識や開発技術に非常に富んだ優秀な魔道士。
彼が世の人々のために生み出した魔法は
膨大な数に上る。
その崇高な志と誠実な人柄が、
大魔女様のお心を射止めるに至った・・・。】
魔女は居ても立っても居られなくなり、王都の王城に乗込んだ。
若い魔道士は今や王配。簡単に会える相手じゃない。
それでも必死で会いたい旨を訴え続け、やっと謁見の許可を得た。
「・・・どちら様?」
久々に会えた若い魔道士から聞く、これ以上ない無情な言葉。
すでにズタズタに引き裂かれた心を、さらに踏みにじられた思いがした。
「 !? そ、そうか、貴女は!」
「思い出してもらえたのね?
まさか忘れられるだなんて・・・。」
「い、いや、それは・・・!」
魔道士が露骨に狼狽える。
彼は媚びた微笑を口元に浮かべ、何とも見苦しく言い訳した。
「スミマセン、最近忙しくって。
それにご存じだと思いますが、僕は結婚する事になったんです。
だから貴女とはもう、会わない方がいいと思いまして。
貴女の気持ちはわかってたんですが、歳も放れ過ぎてるし、その・・・。」
残酷な告白に目眩がした。
それでも魔女は涙を堪え、必死で相手に訴える。
「解っていたわ、そんな事!
でも私の魔法資料、あれだけは返して!
あれは貴方のものじゃない、私の研究の成果なのよ!
返して! 今すぐ返してよ!!!」
「待ってくれ! ちょっと落ち着いてくれ!」
何とか取りなそうとする不実な魔道士。
慌てふためく彼の背後から、陽気な声が聞こえてきたのはその時だった。
「まぁ、ここにいらしたのね、あなた。」
待合室に1人の女性が入ってきた。
胸に大きな何かを抱え、シズシズ歩み寄ってくる。
当時の大魔女 にして、魔道士の妻。
若く可憐な淑女の姿に、魔女の心はさらに傷つき血を吹いた。
「ごめんなさいね、お客様。
ちょっと夫をお借りしていいかしら? 急いで見せたい物がありますの。」
何も知らない新妻が、夫の傍らに歩み寄る。
幸せそうに微笑む彼女は、大事に抱えていた物を夫の前に差し出した。
「さぁあなた、喜んで!
やっと 全集 が出来たのよ!
この本は我が国の宝になるわ。
長年魔法を研究してきた、貴方の成果の結晶ね♪」
それは 一冊の本 だった。
「魔女・魔道士詠唱呪文大全集」。
色鮮やかな羊皮紙の表紙にそう題される、ぶ厚い立派な本だった。
それを目にした次の瞬間。
俯き加減の魔女は 発狂 した!
理性を失った魔女の狂気は、すぐに王都を飲み込んだ。
凄まじい醜気が空を覆い、嵐が吹き荒れ地面が割れる。突然起った大災害に人々は大恐慌に陥った。
想像を絶する魔女の魔力。魔法研究に全てを捧げ、ひたすら精進してきた彼女は自分自身でも気付かない内に、強大な魔女になっていた。
荒れ狂う魔女を鎮めようと、当時の大魔女が戦いを挑んだ。
しかし完膚なきまでに敗北した。
打ちのめされた大魔女が、大広間の床に倒れ伏す。
それを不実の魔道士が抱くようにして、必死に庇い懇願した。
「許してくれ! 何もかも僕が悪かった!
懺悔する! だから妻だけは助けてくれ!
この女性は僕の全てなんだ!!!」
「その女が貴方の全て。そうなのね・・・。」
もはや何も感じなかった。
粉々に砕けた心で、魔女は呪文を詠唱する。
パキーーーン!!!
詠唱が完了した途端、蹲っていた大魔女が急にスッと立ち上がった。
足早にその場を去って行く。一度も後ろを振り向かった妻を、魔道士は呆然と見送った。
「貴方の記憶を消したのよ。」
俯き加減だった魔女は、冷淡に言い捨て嘲笑した。
忘 却 魔 法 。
皮肉にも、生み出した多くの魔法の中で一番凄いと、不実な魔道士が褒めてくれていた魔法だった。
「記憶だけじゃない。
貴方の存在そのものを、この世から完全に消し去った。
誰も貴方を覚えていない。
あのお綺麗な大魔女様も、二度と思い出さないわ!」
存在のない孤独な男が絶望のあまり泣き叫ぶ。
もはや一瞥も与えない。魔女は大広間の奥に目を向けた。
最奥に置かれたこの国の玉座。豪華絢爛な女王の椅子を、憎悪を込めてしばし眺める。
自分と戦い敗北を期し、惨めにひれ伏した当時の大魔女。
その姿を思い出し、口を歪めて嘲笑した。
(遙か昔・・・。
強大な魔力で人々を護り導き世界の基礎をお築きになった『古の魔女』。
大魔女はその直系子孫だと聞いていたけど、アレがそうだというの?
あんな女にこの私は、夢も希望も愛した人も、何もかも奪われてしまったの?
あんな愚にもつかない、無能な女に!!!)
さらに笑いがこみ上げてきた。
魔女は大魔女の玉座を見据え、哄笑した!
(あの玉座に座るのは、血筋だけで女王になった無知で無能な役立たず!
その夫は所詮下衆。人を見る目が腐り果ててる屑で無情な人でなし!
思い知らせてやる!
大魔女などより私の方が、強く賢く偉大だと!
何度でも呪ってやる!
大魔女を愛して結ばれた者は、忘却が与える哀しみの中生涯孤独に生きるがいいわ!!!)
魔女はある呪文を詠唱した。
すると、大魔女の玉座の背もたれにポッカリ大きな穴が空いた。
物体の中に作り出した「異空間」への入口。
これもまた、俯き加減だった魔女が生み出した、真新しい魔法だった。
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過去見の鏡が徐々に薄れ、闇の中に解けていった。
同時に左手薬指の指輪から放たれていた光も消えた。
異空間が再び深淵の闇に覆われる。
大魔女は深く吐息を付いた。
(・・・そう。
そんな辛い事があったのね・・・。)
憐憫の思いで忘却の魔女の姿を探す。
暗闇の中、頽れ蹲っていた。
思い出したくなかったのだろう。まるで見聞きするのを拒んでいるように、身体を丸めて伏せている。
その様子はあまりにも悲しく、不憫だった。
しかし。
『 おのれ・・・。
おのれぇぇぇ・・・!』
憎悪に満ちた悍ましい呟き。
大魔女は全身総毛だった。
『 おのれ、よくも・・・!
おのれおのれおのれ、
お の れ ぇぇぇーーーっっっ!!!』
蹲っていた忘却の魔女が、天を仰いで絶叫する!
( しまった!!! )
大魔女はつい油断した自分を呪う。
咆哮と共に迸る、忘却の魔女のどす黒い 醜気 !
それは凄まじい烈風を纏い、異空間の闇を突き抜け外の世界に溢れて行った。