第8章 水の都ティリッヒの陰謀

2025年2月18日

2.鏡

植物型キメラ獣の襲撃で 一部設備が破壊されたシャワー室は、ロディの突貫作業の甲斐ありキレイに修繕されている。
むしろ以前よりも快適にリフォームされた。モカ以外の姉貴分4人の無茶振り要望を12ピース入りフライドチキン3箱を糧に見事に実現。お陰でロディはその後しばらく力尽きて動けなかった。

そのシャワー室の脱衣所に入り、モカは簡易テーブルに着替えを置いた。
いつものように照明は点けない。辺りの気配を用心深くうかがってから、簡易ライトの光を頼りに服を脱ぐ。
深夜にシャワーを浴びるのは 例の 焼き印 を他人に見られないようにするため。基地の住民が寝静まった真夜中ならば、シャワーを浴びている最中に入ってこられる心配も無い。
照明を点けないのは その焼き印 を自分が見ないようにするため。見れば悍ましい記憶が蘇り 錯乱状態に陥ってしまう。
それを恐れて暗がりで 1人深夜にシャワーを浴びる。モカはバスタオルで体を覆い、簡易ライトを手に取るとシャワーの個室に駆け込もうとした。
しかし。
出入口前の 姿見鏡 。そこに映った自分の姿に息を呑んで立ち止まる。
鏡の中から不安気に見返す自分の顔は、恐ろしいほど 母 に似ていた。

シャワー室の姿見鏡が恐ろしい。モカは鏡が嫌いだった。
顔は母を思い出して辛く哀しい気分になるし、裸体には例の 焼印 がある。姿見鏡だけに限らず、自分の姿を映す鏡でが怖くて怖くて仕方がない。
それでも キャスケット を目深に被れば顔はあまり気にならないし、服を着ていれば焼印も滅多な事では人目につかない。後は黙して過去を隠せば、元々目立つ容姿では無い。誰も自分の事など気にしないのだと思っていた。

( でもまさか、リーベンゾル・タークが お母さん を知ってるなんて・・・。)

 母 を知る者がいる。
それだけでも驚きなのに、よりにもよっての人物が 母の顔 を知っている。
だからすぐにわかったのだろう。モカこそ リーベンゾル後宮 の生き残りだと!

・・・ デ ラ イ ラ ぁぁぁ ーーーーーっっっ!!!!!

エベルナ採掘場跡で聞いた叫びが耳の奥で甦る。
言葉にできない恐怖を覚え、思わずギュッと目を閉じた。
( 怖い。もしあの時、 局長 が助けに来てくれなかったら・・・。それに、 ナム君 ・・・。)
採掘場跡の崖でタークに襲われた時、モカは錯乱状態に陥っていた。だから記憶が曖昧なのだが、ナムが捨て身で助けてくれたとロディ達から聞いている。
( 私、まだ お礼 まだ言ってない。ちゃんと言わなきゃ。今度会った時に・・・。)
ナムの顔 が脳裏を過ぎる。
モカの頭の中の彼は、なぜかアタフタ狼狽えていた。

『 いや! 言わねぇよ?! 他のヤツにモカの 裸 を 見 た なんて! 』

( え? )
驚き、思わず目を見開いた。
鏡に映る自分の姿を真正面から直視する。恐怖を感じる間もないほどに、脳内のナムが喚き立てる。

『 こっちこそゴメン! キメラ獣に襲われたとはいえ、女の子の入浴中に乱入して ガッツリ 見ちゃうとか、サイテーだよな!
あんな非常時に ガン見 するとかあり得ねぇけど、女の子の  なんて 生 で 見 た 事なかったんで、つい・・・。って、いやいやいや! マジでゴメン申し訳ないっっっ!!!』

( えぇ? )
モカの頬に朱が差した。
そう言えば そうだった。忌み嫌っている自分の裸を ナムには ガッツリ 見られたのだ!
あの時借りたTシャツを返す折り、彼は必死で謝ってくれたが 会話がいまいちかみ合わなかった。モカが「誰にも言わないで」とお願いしたのは 焼き印 の事だったのに。

『いやぁ、実はあれから何度もあのシャワー室のシーン、思い出してんだけどさぁ。
それが、何回思い起こしても 覚えてんのは 上の部分 と 下の部分 ・・・。』

( えぇぇぇぇ???)
モカはさらに赤面した。
真正面から凝視したにも関わらず、目立つ焼き印をキレイにすっ飛ばして 上と下だけ 覚えてる。そんな信じがたい記憶力を持つ彼の口からつい先日、思いがけない言葉を聞いて動揺した事を思い出す。

( ナ、ナム君には お返事 もしなきゃ!
ど、どーしよう! アレって、ホントにそう・・なのかな? 何かの 冗談 じゃなくて???)

エベルナから帰還した、カレーの日の「告白」。
ナムの 一世一代の 求愛 が「何かの冗談」に思えてしまうのは、告白しこくった状況からみても致し方ない事だった。

あれからナムとはほとんど顔を合わせていない。
ここ最近、モカはずっと局長室にこもって仕事をしている。今回の件はやはり負担が大きかったようで、フラッシュバックやパニックといったPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が、以前よりも頻繁に出るようになった。
だから症状が落ち着くまで、基地の仲間達とはなるべく顔を合わせないようにしていた。
余計な心配を掛けたくなかった。しかし。

(・・・それ、違う。)

モカは小さく首を横に振った。

( 私、逃げている。自分でもそれはわかってる。
しっかりしなきゃ! このままじゃダメ。朝が来ればMCミッションコード2Aツーエーが始動するんだから。嫌でもみんなと顔を合わせるんだから!
ナム君にも、ちゃんと言わなきゃ。
あの時の お礼 も、告白の 答え も。・・・冗談じゃなかったら、だけど・・・。)

改めて姿見鏡を見た。
見つめ返してくる自分は酷く頼りなく不安げだった。
鏡をじっくり見るのは久しぶりだった。普段は見繕いする時だけ、しかも見苦しくないよう容姿を整える程度でしか覗かない。
震える指でゆっくりと 胸元で合わせたバスタオルをほどく。
素肌をタオル地が滑り落ちる。鏡の中の自分の 身体 が、徐々に露になっていく・・・。

 ド ク ン !

突然、心臓が悲鳴を上げた!
凍り付くような怖気が走り、胃がビクビクと痙攣した!
目の前があの 拷問部屋 へと変っていく。母の悲鳴とケダモノの哄笑、肉が焼きただれる悍ましい音がが入り乱れて耳を打つ!

(・・・っっっ!!!)

モカはシャワー室の個室へ駆け込んだ。
温度調節もしないまま、シャワーのバルブを全開に捻る。迸る冷水が身を打つ中で、激しく身悶え嘔吐する!

( いない、いない、いない!
もういない、きっと死んでる、アイツはいない、もういない!!!)

必死であの「呪文」を唱え続ける。
激しい水音だけが響く暗く冷たいシャワー室で、モカはたった一人きりで凄絶な恐怖と戦った。

やがて、震える手がのびてシャワーのバルブを力なく閉めた。
タイルの床に崩れ落ちたモカは、自分の冷え切った身体を抱きしめる。
遠く火星の風音が聞こえるだけの静けさに、少女の荒い息遣いが響いていた。

「・・・無理だよ・・・。」

ねじ切れそうな心臓や胃よりも、心の奥が激しく痛んだ。
モカは自分の膝に顔をうずめ、声を殺して静かに泣いた。

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