第5章 ハルモニアの暴露

8.ハルモニアの暴露

どこかから デミグラスソース の匂いがする。

(今日晩ご飯の献立は ビーフシチュー なのかな。)

モカは小さなパウチの封を開けた。
中身はビスケットタイプのコンバット・レーション。ウェストポーチに入れていつも携帯している非常食である。
辺りはもうすっかり暗い。エベルナの統括司令基地には夜が訪れていた。

B棟裏手のスレヴィの隠れ家で、廃タイヤに座ってコンバットレーションをかじる。
今夜は野宿するつもり。この場所なら静かだし人目にも付かない。朝まで体を休めるくらいなら特に不自由しないだろう。

( 局長・・・。)

モカは小さく吐息を付いた。
1歩足を踏み入れて 目に止る前に速攻逃げた エメルヒの統括司令室。そこに置いてきたのはキャスケットだけじゃない。こっそりテーブル下に 盗聴機 を取付けておいたのだ。
ナム達がグラウンドで騒いでいる頃。フェイと別れて1人になったモカは、メイン司令塔と隣接する A棟 に向かい、そこでリュイ達とエメルヒの会話を盗聴した。
話はほとんど終わっていたが、エメルヒがリュイ達に「仕事」を押しつける会話が聞けた。
エメルヒの思惑はすぐにわかった。「捕獲」に邪魔なリュイや傭兵達を体よく基地から追い払ったのだ。
きっと明日朝一番に お達しが来るに違いない。
たった1人で統括司令室へ 出頭 せよとの命令が。

(でも、そんな事どうでもいい!
局長が戦場に行かされちゃう。マックスさん達やサムさん達も! 私のせいで・・・。)

暗い気持ちで手元のレーションに目を落とす。
かじりかけたレーションは、もう食べる気にはなれなかった。

「こら! また1人でふさぎ込んで!」

モカは驚いて顔を上げた。
目の前に カルメン が立っていた。いつ来たのかもわからない。物思いにふけるあまり、気付けなかった自分にも驚いた。
彼女は手に持つトレイをずいっとモカに突きつける。
プラスチックの安物トレイにのせられているのは、歪な形のロールパンと 肉より野菜がはるかに多いビーフシチューのスープ皿。カルメンがおどけてウィンクした。

「こういう時こそメシ喰いな!ってのは、リーチェ姐さんの台詞だけどね。
食欲無いかもしんないけど、そんな事でどーすんの!
ただでさえ食が細いんだ、そんなんじゃ 胸 だって育たないよ!」

「ええぇ!!?」
思わず胸を押さえて戦く。
こんな時だというのに、ソレどころじゃないというのに心の底から狼狽えた。
失笑するカルメンがモカの隣に腰を下ろす。
戸惑うモカの手に、トレイを無理矢理押しつけた。
「コレ、ビックリするほど不味いけどね、栄養はあるはずだ。少しでも食べな。」
「あ、ありがとうございます。・・・いただきます。」
シチューはまだ湯気が立っている。
カルメンらしい乱暴な 優しい気遣いが嬉しかった。

小惑星植民型のコロニーは、環境調整システムで空気中の酸素や湿度が管理されている。
B棟裏手のスレヴィの隠れ家は、安普請な寄宿舎よりもほどよい気温で快適だった。
「ここ 涼しいな。今夜は私もここで寝る。」
「!? で、でも・・・。」
「遠慮、しない!」
「・・・。」
ピシャリと叱られ口をつぐむと、別の女性の声がした。

「そうよ モカ。こういう時くらい甘えなさい。・・・仲間、でしょ?」

両手に薄手の毛布を抱え、微笑むビオラが歩み寄ってきた。
彼女の一番美しい表情かおである。情報・金を奪う目的で男を騙し誑かす時ももちろん華麗で綺麗なのだが、仲間を思って笑みには彼女本来の愛情深さがにじみ出ていて神々しい。
「 ありがとう、ございます・・・。」
感謝の気持ちで胸が詰まる。モカは素直に毛布を受取り、小さくお礼を口にした。
しかし。
カルメンには通じない。見る者全てを魅了するビオラの輝く微笑を一蹴、眉をつり上げ立ち上がった!

「 なに しゃしゃり出て来てんだお前!
新人ルーキーのチビ共はどうした?!面倒見てろって言っただろ!」
新人ルーキーちゃん達はロディがちゃーんと見てあげてますぅ!
あの子達もここへ来たがったのよ? 駄々こねて大変だったんだから!」
「 それを叱るのがお前に任せた仕事だよ!
局長がいない時の指揮官は 私 !空っぽの頭でもわかるだろ?!ちったぁ従え この出しゃばり!」
「うっさいわねギャーギャーと!
ミッション中じゃあるまいし、なにが指揮官よ エラそーに!
そっちこそこれ見よがしにお節介かましてんじゃないわよ!嫌らしい!」
「なんだと! 蜂蜜女!」
「なによ! 野蛮女ぁ!」

いつものケンカが始まった。
( 全然隠れ家ってカンジじゃなくなっちゃったな・・・。)
モカは苦笑し、スプーンを手に取りシチューを掬った。
「ビックリするほど不味い」シチューは 、心配してくれる人達の気持ち分だけ美味しかった。

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さて、一方。
B棟裏手脇にある雑木林の茂みの中。
あからさまに 不審な男 が、1人こっそり潜んでいた。

(こんなこったろうと思った。何やってんだか、あの姐さん達は!)

ナム は暗視スコープから目を離す。
声を荒げて罵り合ってるカルメン・ビオラに辟易しつつ、シチューを口にする モカ の様子に少なからず安心していた。
何とか 摂食できてるようだ。できれば「ビックリするほど不味い」シチューではなく、もっと美味しい物をたくさん食べて欲しいと思うが、統括基地ここでは何とも致し方ない。
今夜はここで 夜間哨務 するつもりだった。
リュイや傭兵部隊が「仕事」に行ったと聞いた時から、徹夜の覚悟はできていた。カルメン・ビオラもそのつもりのようだが、あの様子じゃ任せられない。 禿ネズミエメルヒがどんな汚い手使ってくるかもわからない以上、臨戦態勢でいるべきだ。
本当はもっと近くで護衛したいところだが・・・。

( シャワー室での件以来、すっかり避けられちゃってっからな~・・・。)

それを思うと胸が痛い。
気分をひどく沈ませた。
(まぁいいや。
喧しい新人ルーキー共はロディが見ているし、アイツら居ねぇ分だけ寄宿舎よりも ここの方が静かだろ♪)
半ば強引に気分を上げる。そうでもしないと、やってられない。
ナムは再びスコープを目に当て、姐貴分達の不毛なケンカに苦笑しているモカを見た。
ところが・・・。

「なぁなぁ、モカさん、笑ってるぞ!」
「よかった、ご飯もちゃんと食べてるわ!」
「不味いシチューだったけど、食べないよりはマシだよねっ♪」

( 何ーーーっっっ!?? )
咄嗟に左手で口を押さえ、無理矢理悲鳴を飲み込んだ。
いつの間にか新人ルーキー達が隣に整列、各自 持参の暗視スコープでモカの様子を眺めていた。

「 だー! お前ら、いつの間にっ!」
「さっき来た。」
「ナムさん、気付かなかった。」
「それ、諜報員としてヤバいんじゃない?」
(・・・ぐっ!)

痛い所を突かれた。
正直、モカしか見てなかった。取りあえず一番手前のコンポンの頭を ヘッドロックで締め上げた。

「あー、あの子の事が心配なワケね。なるほど。」
「ありゃ昼間会うたお嬢ちゃんやな。なんや? ワケありかいな?」
「いろいろ事情はあるんッスけどね。
ナムさんは 円周率 いい飛ばすくらいのワケがあるみたいッスよ。」
「いや待て! なんでお前らまで居るんだよ!!?」

新人ルーキー達の後ろには、同じくそれぞれ暗視スコープを覗くスレヴィ・マルギー・ロディがいた。
新人達コイツら、モカさんの様子見に行くっつって気かないんッスもん。
止めるなんて無理ッスよ。俺も心配だったし。」
「ヒマだったからアンタらが泊まってる宿舎に遊びに行ったら、ごんぶと眉毛君達が出かけようとしてたから付いてきちゃった♪」
A・Jエーちゃんも来ぃへんか? っつって誘ったんやけどな。ものごっつ怒鳴られて拒否られたで。」
野次馬根性丸出しの変質者とオーサカ民が、茂みの影で陽気に笑う。
ナムは頭を抱えて項垂れた。

「・・・なにやっとんだ、アイツらは?」
「 おバカ 丸出しね・・・。」

いくら茂みの中とはいえ、7人もいて騒いでいたらバレないなんてあり得ない。
カルメン・ビオラはケンカが止めて呆うろんな目付きで茂みを眺め、モカは再び苦笑した。
その時だった。
B棟屋上に取付けられたスピーカーが、脳天気な音楽を奏で始めたのは!

 ちゃっちゃちゃっちゃーん♪
 ぱらぱらぱららら♪
 てれっててーん!!!♪♪♪

ぎゃー! 何なにナニ!??」
シンディが耳を押さえて悲鳴を上げた。
ナム達も同様に度肝を抜いた。とんでもない大音量に慌てふためき混乱したが、スレヴィ・マルギーはなぜか冷静。むしろ顔をしかめてうんざりしていた。

「そっかキミ達、まだ知らないんだ。
コレさ、例のスパイ・アイドルがたま~にゲスト出演する スペース・ラジオ番組 なんだ。」
「アイツがな、ローカル局過ぎて聞く人おらへん! ちゅうてゴネよるから、禿ネズミがご機嫌取ってわざわざ基地中 放送しやがるんや。
ラジオ放送終了まで30分間、こんなんタダの 苦行 やで!」

OPテーマ曲と思われる不快な音楽が終わるとすぐに、ラジオ・パーソナリティのMCトークが聞こえてきた。

『ぼんじょーるのー(それ、イタリア語で「おはよう」とか「こんにちは」)!
太陽系1,000億のファンのみんな(現在太陽系総人口は公式発表で654億だ)!
今週もやって来ましたハートを熱くするこの番組!
「アイドル全員集合!みんなでワイワイオールナイト!!」(30分番組って聞いてるけど?)
今宵のゲストはすっごいぞ~! なんと!!!
先日火星で華麗にデビューした新星、カタストロフィP!
金星エリアのスーパーアイドル、パリダ・ゴンチャレスちゃん!
ついでに・・・・ハルモニア・ディアーズちゃんだ(ついでかよ!)!
さぁみんな、熱く語ろうぜ!
そーろんぐ(ここは英語? しかも「さよなら」、もう終わるのか?!)!!!』

放送開始10秒で番組の質がうかがえた。
IQ値が心配されるパーソナリティのMCトークの後は、ただひたすら女の子達がキャピキャピお話するだけ。スレヴィが「苦行」と言った意味がよくわかる。

「く、くだらない!」
「バカじゃないの?!」
「サイテーだわ、信じらんない!」
「コレ、リスナー居るンッスかね?」
「な? ヒドイやろ?」
「こんなん、うるさいだけだよね~。」
「なぁなぁ、どれがスパイ・アイドルの声なんだ?」
「・・・僕にきかないでよ・・・。」

カルメン・ビオラも新人ルーキー達も容赦無く番組を罵倒する。
ナムも両手で耳を押さえ、顔をしかめて呟いた。

「なんちゅー意味のねぇラジオ番組だ! こんなのアイザックさんでも聞くかどうか・・・。
だいたい、どれがハルモニア・ディアーズの声かなんて さっっっぱり わかんねぇ!
早く終わってくンねぇかな、頭痛くなってきた!」

この問題はすぐ 解決 した。
それも、太陽系中の人々を 大 混 乱 に陥れるほど、人類史上 最悪の形 で!

『はーい、みんな、ちゅーもーく!
今からモニィちゃんが メッチャすごい事 、話しちゃいまーす♡
実はアタシぃ。
今 話題の 『後宮』の生き残り って人がどこに居るか、知ってるんだよねー。
わっかるー? ほらぁ、あのリーベンゾルのぉ♡
その人ねー。 エベルナってトコの 傭 兵 部 隊 にいるの! ジャジャーン!!♪

空気が一瞬で凍り付いた。
統括司令基地全体はもちろん、太陽系中全ての国で。

『しかもその人ってぇ、あのゴルジェイの オ ト シ ダ ネ なんだってー。
オトシダネって、隠し子の事でしょぉ? それって、すっごい事だよねー♪』

 プツン! ザーーーーー・・・。

突然、ラジオ放送は中断した。
検閲が入ったのだ。先日あったリーベンゾル・タークの国家再建宣言以来、地球連邦政府軍公安局による検閲は厳しすぎるほど強化されてる。それに早速引っかかったのだろう。
願い焦がれた放送終了。しかしその後訪れた静けさは、まさに死の静寂だった。
言葉を失い立ち尽くす。そんなナム達全員の耳に、軽い金属が落ちる音が微かに聞こえた。
モカの手から滑り落ちたスプーン。
コンクリートの地面で跳ねて、彼女の足下に転がった。

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外惑星エリア・21××YU5と呼ばれる 小惑星 。
ここでは強酸性の雨が降る。最新鋭の環境調整システムを用いても、汚染はなかなか改善されない。「7日間の粛正」時、大量に使用された化学兵器が残した戦争の傷跡だった。汚れ果てたこの「国」の環境浄化が成し遂げられるのは、いったいいつの日になるだろう?

雨は強弱を繰り返し、枯れた大地を痛めつける。
広い室内で明かりも付けず、窓辺で雨を眺める 男 が悲しげに吐息を一つ付いた。
扉をノックする音が聞こえ、誰かが室内に入ってくる。ピンク色のスーツ姿の、小太り気味の中年女。彼女は柔和に微笑みながら、男の傍らに佇んだ。

「シャトルのご用意が整いました。」
「機種は?」
「一番早いものを用意いたしましたわ。すぐ発たれますか?」
「ありがとう。今すぐ発つよ。」

男は静かに振り返り、白い歯を見せて穏やかに笑う。

「さぁ、行こう。
   私の『妹』を迎えにね。」

中年女もニッコリ笑う。
そして 部屋の扉を大きく開いて彼女の「主」を送り出した。

雨足がまた強くなった。
遠くで雷光が歪に閃き、凄まじい雷鳴が轟いた。

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