第5章 ハルモニアの暴露
1.500エンの負け戦
火星からエベルナの基地まで、特急便を乗り継ぎ5時間。
オンボロ輸送船ではその倍掛かる。だから起床は午前の3時。ただ行くだけと言うわけにはいかない。武器・装備を点検し、最小限だが輸送船に詰め込む。
それが終わってやっと朝食を取る。人工太陽が地平線を照らし始める時間に基地を発つ予定。輸送船のハイパーエンジンの調子が良ければ、午後一番に到着できる。
ナムはロディと一緒に食堂に入ると、無意識に辺りを見回した。
モカの姿はない。会えばまたブン殴りたくなる冷血暴君・リュイの姿も。
ついでに副官・参謀官もいない。マックスはその内来るだろうが、アイザックは輸送機のコクピットで出発のチェックをしてるのだろう。
他の傭兵達やカルメン・ビオラ、新人達は全員来ていて、食堂真ん中のテーブルの上にドドンと積まれた大量のサンドイッチを食べていた。
(・・・食欲、無ぇ・・・)
サンドイッチに突進して行く食欲旺盛なロディを見送り、近くの椅子に崩れ落ちる。
昨日はまったく眠れなかった。お陰で身なりもどうでもよくなりテキトーな格好になってしまった。
カーキ色のフライトジャケット、安物のGパンに黒スニーカー。普段と違う装いに、体調不良を疑うロディが体温計を差し出す始末。
当たらずとも遠からず。元気も気力もまったく出ない、最低最悪のコンディションだった。
暗い思いに苛まれるのはナムだけではないようだ。
大量のサンドイッチと向き合う仲間も全員無言。会話らしいものは何もなく、ただ黙々と食べている。
重い空気に沈む食堂に、サバイバル・スーツ姿の副官・マックスが入ってきた。
「全員、着床ポートへ出ろ! 局長と モカが待ってる。」
(・・・モカが?)
ナム達はそれぞれの顔を見合わせた。
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地平線の彼方がほんのり明るい。人工太陽が昇ろうとしている。
建屋から出たナム達は目を見張って驚いた。
輸送機のサーチライトが煌々と照らす着床ポートに、リュイとモカが対峙している。
全員揃ったのを確認し、リュイが軽く首を巡らせる。「開始」の合図だったのだろう。モカが被っていたキャスケットを脱ぎ、投げ捨てた。
利き手に握りしめるのは、彼女の武器・ワイヤーソード。
昨夜の激しい発作から立ち直り切っていないのは血の気のない顔色でわかる。しかし彼女はリュイを見据え、ワイヤーソードを身構えた。
「まさか、局長と 手合わせ を?!」
「モカが!? ナニそれ どーゆー事?!」
カルメン・ビオラが声を上げた。
モカはバックヤード担当。非戦闘員のはずである。
その非戦闘員がリュイに挑もうとするのを、驚く事なく見守るのはマックスと ナム だけだった。
キュイン!
乾いた金属音が響く。
遠い微かな太陽光を受け、煌めく銀糸が空を切る!
瞬殺を狙った一投だった。ワイヤーの刃がリュイの頸部を驚くほど正確に狙う!
しかし。
モカが放った閃きは、標的の右 耳下部の髪をパッと散らせただけだった。
外したのではない。標的がほんの僅かに首を動かし避けたのだ。
どちらも見事な攻防だった。傭兵達から感嘆の声が漏れる中、モカの目付きがガラリと変る。
頼りなく移ろっていたモカの双眸は、挑むように鋭くなった!
キュイン!!!
モカが再度リュイに仕掛ける。ただ突っ立っているだけの標的に、銀光が閃き乱舞する!
息つく間もない素早い攻撃。その全てを佇むリュイは、僅かな動きで避けていく。
少しも立ち位置を変えないまま。ジャケットのポケットに両手を突っ込み、顔色一つ変えないままで!
「あんなスゲェの、簡単に見切れるモンじゃねぇんだが・・・。」
テオヴァルトが半ば呆れた様につぶやいた。
カルメン達もざわつき始めた。モカの見事なワイヤーさばきに、全員驚きが隠せない。
激しい攻防が続く中、攻撃を仕掛けるモカに変化が現れ始めた。
疲れ が見え始めたのだ。速度を生かした攻撃には力と持久が伴わない。迅速に決着を付けない限り、敵を倒すのは難しい。
リュイが動いた。
軽く息を吸い込むと、地面を蹴って走り出す!
モカとの間合いは一瞬で詰まり、避ける間を与えず彼女を捕らえる。
そして細腕を掴んでねじり上げ、容赦無く乱暴に投げ飛ばした!
「きゃーっ! モカさん!!?」
シンディが思わず悲鳴を上げた。
もんどり打って倒れたモカは、すかさず飛び起きワイヤーを放つ。
乱れ飛ぶワイヤーを容易くかわし、リュイが再び間合いを詰める。荒々しく振り上げた手がモカの頬を張り飛ばした!
吹っ飛び肩から地面に落ちる。今度はすぐには立ち上がれない。苦しそうに喘ぎながら、もがくようにして体を起こす。
それでも。
彼女は必死で足を踏みしめ、ワイヤーソードを身構えた。
その時。
「 ちょっと スンマセンけどー!!!」
「ぎゃー!!?」
緊迫した空気の中、突然聞こえたマヌケな声に新人達が飛び上がった。
その新人達を軽く押しのけ、ナムは1歩 前に出た。
「なんか 見てたら俺も体動かしたくなっちゃったんすよね。
交代して貰ってもいいっすかね?」
「ちょ、何言ってんッスか、ナムさん!?」
慌てるロディがジャケットの袖を引っ張り止めたが、振り払った。
ナムは真っ直ぐリュイを見据えて歩き出す。
(きっと、とんでもねぇ訓練を積んでんだ。じゃなきゃ ワイヤーソードは使いこなせない!
来る日も来る日も鍛えられてボッコボコに殴られまくる。ボロボロになってブッ倒れても引きずり立たされてしごかれる。
そんなメチャクチャな実戦訓練、モカも強いられたんだ。
・・・これがてめぇのやり方だよな!)
ナムの申し出は許可された。
リュイが首を軽く巡らせ 指示を出す。それを目にしたモカが頷き、足を引きずりよろめきながら仲間達の方へ歩き出す。
途中、着床ポートの上ですれ違ったが目線を交す余裕はない。
疲れ果てたモカは歩くのが精一杯だし、ナムはこれから始まる戦闘に意識を向けて集中していた。
「きゃぁ!モカさぁん!」
「しっかり!リーチェ姐さん、水を!」
背後で悲鳴が上がった。モカがとうとう倒れたようだ。
ここ数日起った事で弱り切っていた彼女の体に今の「訓練」は過酷だったのだろう。
振り向かなかった。
ただ目の前の「敵」をガン見した。
( あぁ、わかるさ!人は体を酷使すっと何も考えられなくなるんだ。
どうしようもねぇほど疲れ果てると、心が病んでも眠ってしまえる。十分な睡眠が摂れるんだ。
過酷過ぎる訓練で余計な事は考えられなくする!
睡眠摂らせて病んだ心が身体に影響してくンのを最小限に抑える!
技と力が自分のモンになる時にゃ、心と精神も立派に鍛えられちまうさ!
とんでもねぇ荒療治だが、そうやってモカも立ち直ったんだ。)
「敵」を目指して歩くナムは、ジャケットの背中から自分の武器を引っ張り出した。
ずっと愛用している 棍棒 。コレを使えるようになるまでの過酷な訓練が脳裏を過ぎる。
(俺が あの時 抱えてた問題なんて、今にして思えばちっぽけなモンだ。
あの時 の訓練があったからこそ、今の自分があるってぇのもわかってる。・・・でもな!)
「敵」の元へと辿り着いた。
ナムは手にした棍棒を新人達の方へ放り投げた!
「持ってろ!」
「・・・え? ちょ・・・???」
受取ったコンポンが手元の棍棒とナムを交互に見て狼狽える。
こんな バケモノ じみた男に素手で挑むなど狂気の沙汰。
敵わないのはわかっている。
それでも我慢できなかった。
( あの娘 は違うだろ!? それがアンタのやり方だとしても!
ぶっ倒されて飛びそうな意識で「このまま死ねたら楽なのに」とか考えちまう!
そんな目に遭わせていい娘じゃ ないだろうがよ!!!)
昨日、食堂で感じた静かな怒りが全身を満たしていくのがわかる。
行き場のない思いに駆られてつい椅子に八つ当たったが、今度は目の前に「敵」が居る。
( 自分の拳で、ぶ ん 殴 り た い !!!)
ナムはリュイの目を睨み、真っ向から対峙した!
・・・そんな緊迫した空気をよそに・・・。
( 笑ってやがる。困ったもんだ。)
マックスが口元を歪め苦笑した。
彼だけではない。戦き慌てるカルメン達とはまったく違い、百戦錬磨の傭兵達は気楽で呑気。一触即発なこの状況をむしろ楽しげに眺めていた。
仕方がないのかも知れない。怒りに駆られたナムの挑戦は、上官への無礼を飛び越し無茶で無謀。子猫がライオンに挑むような物である。身の程知らずも度を超せば、どんなに本気でも滑稽に見える。
現にリュイも微かに 笑 っ て いるのだ。
付き合い長いマックスにしかわからないような微かな微笑だった。敵意丸出しで挑まれる本人も、明らかに事態を楽しんでいる。
( まぁ、面白ぇモンかも知れねぇな。愛弟子 がやらかす愚行ってぇのは。
いや、奴にとってあの坊主は 弟子 っていうより・・・。)
白み始めた地平線を目視し、マックスは胸ポケットから コイン を出す。
それを義腕の手のひらに乗せ、 隣で佇みニヤニヤしているテオヴァルトの方へ差し出した。
「出発の時間が近い。瞬殺に500エン。」
「ひでぇな副長! 5秒 くらいは保つだろ? そっちに500エン。」
テオヴァルトが苦笑する。
どっちもどっちで相当酷いが、賭に勝ったのは マックス だった。
瞬殺 である。
とにかくオンボロ輸送機はエベルナに向けて飛び立った。