大魔女様は婚活中
6.大魔女様の追憶
風の無い、とても静かな夜だった。
大魔女の城の大広間。その高い天井には、日の光が差し込むように所々天窓が設けられている。
人々が寝静まった真夜中の今、そこから差し込むのは月の光。青白い月光がまるで定点灯のように、暗い大広間に降り注ぐ。
最奥にはこの国の 玉座 がある。
一段高い壇上に備え付けられた豪華な玉座は、背もたれ・肘掛けに細かい彫刻が施されていて重厚かつ美しい。
その女王の椅子に大魔女が座って、もう随分時間が経つ。
彼女は今、誰もいない真夜中の広間で1人暗闇を見つめながら、その日の午後の事を思い起こしていた。
---★★★---★★★---★★★---
午後一番に駆け付けてきた女性は、私室で顔を合わせるなり血相変えて詰め寄った。
「お母様から聞いたわ。本当なの?!」
彼女は大魔女唯一の「姉」。
かつて 1番目の魔女 と呼ばれ、今は 小間物屋の奥さん と呼ばれる、13人いる大魔女姉妹の 長姉の元魔女 その人である。
「まぁお母様ったらおしゃべりね。
その通りよ。私は北の大国の 親不孝者 と結婚するの。」
姉の勢いにたじろぎつつも、大魔女は努めて陽気に振る舞った。
北の大国を治めていた先の国王は、魔王と名乗る実の息子に位を追われた後 行方不明 。巷の噂を信じるならば、王城の地下牢に監禁されているのだという。
真相はわからない。しかし、北の大国の情勢を思えば限りなく真実に近いだろうし、最悪の事態を想定するなら この世にいない 可能性もある。
長姉の元魔女は身震いし、暗く重たいため息をついた。
「北の大国の魔王、彼の魔力は凄まじいわ。大魔女である貴女と同じくらいに。」
「そうよ。だから喜んで求婚をお請けするの。
いい話だと思わない? 上手く立ち回れば北の大国と、魔王を名乗る痴れ者の強大な力を手に入れられるわ!」
「向こうだってそう目論むから婚姻を結ぼうとしているのよ?
愛情なんて微塵もないわ。この国の支配と大魔女である貴女の魔力、それが欲しいだけなのよ?」
「わかってるわ、お姉様。
相手を魔力で屈服させる。魔法使いの戦いはそれができれば完全勝利。
心配しないで、負けるつもりは毛頭無いわ!」
長姉の元魔女の美しい顔が、より一層暗くなる。
「そんなお互いを傷つけ合うような結婚なんて・・・。貴方、本当にそれでいいの?」
大魔女は小さく微笑した。
「この求婚を断れば 戦争 になるわ。
あの痴れ者、本気で世界を征服する気みたいよ。愚にも付かない口実をでっち上げて、必ず宣戦布告してくるでしょう。
ならば、北の大国と同等の国力を持つこの国と、大魔女の存在が邪魔なはず。
遅かれ早かれ、戦わなければならない相手。でも婚姻関係を結んでしまえば、民を巻き込む戦争だけは避けられるわ。
夫婦仲は最悪でしょうけど、それは仕方が無い事ね。」
「・・・。」
長姉の元魔女は哀しげに項垂れた。
---★★★---★★★---★★★---
( 傷つけ合う結婚。そうね、仕方が無いわ。
私は大魔女、この国の民を守らなければならないのだから。)
悲壮な決意を胸に秘め、闇を見つめる大魔女の目が、急に優しい光を帯びた。
私は 大魔女 。
改めてそう思った瞬間、 ある少年 の面影が不意に脳裏を過ぎったのだ。
(・・・泥付ゴボウ・・・ オ ス カ ー ・・・!)
大魔女は静かに目を閉じた。
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2番目の魔女。
それが15年前、まだ子供だった時の大魔女の呼び名だった。
「可愛げが無い。1番目の魔女は気立てが良いのに、お前ときたら!」
当時の大魔女である母は、よくこう言って愚痴をこぼした。
多くの姉妹達の中で一番気が強く自立心旺盛。だから2番目の魔女は、同じく気が強い母親とはあまり気が合わなかった。
性格穏やかで優秀な姉と常に比べられ叱られる。意思や気持ちに忠実であればあるだけ疎まれ否定される。
物心ついてからずっと、そんな毎日の繰り返し。2番目の魔女は、孤独だった。
(いいわ!そんなに可愛くない子なら、今すぐいなくなってあげる!!!)
ある日、2番目の魔女は「家出」した。
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オスカー とは、その時に出会った。
城を飛び出した2番目の魔女が気の向くままに訪れた、小さな湾を望む港町での事である。
♪聞いておくれよ ふざけた話
カニがエビ背負って 宙返り
サザエとアサリが 酒飲んで躍りゃ
イカの浪曲 タコの歌
(・・・変な歌・・・。)
2番目の魔女は足を止めた。
漁船がたくさん停泊する波止場。その一角に人だかりが出来ている。
楽しげに笑う港の人々。その輪の真ん中に、2番目の魔女と同じ歳くらいの少年の姿が見て取れた。
やせっぽちで髪はボサボサ、よく日に焼けているから、何となく畑で掘り出したばかりの「ゴボウ」を思い起こさせる。
彼はデタラメな歌を歌いながら、ふざけた調子でクルクル踊る。
それを見ている港の漁師達が、大喜びで囃し立てた。
「ははは・・・いいぞ、オスカー!♪」
オスカーと呼ばれた少年が、漁師達の目の前で華麗に宙返りして見せた。
人々はわぁっと歓声をあげた。
(あぁ、芸を見せてお金を稼いでいるのね・・・。)
2番目の魔女はこの少年が、生活のために歌って踊る大道芸人だと推測した。
しかし、一通り歌い踊ったオスカーが勿体ぶったお辞儀をしても、金を払う者などいなかった。
港の人々は楽しげに笑い合いながら、それぞれの仕事に戻って行く。
( ??? )
2番目の魔女は呆気の取られ、働き始めた港の人達を不思議な思いで眺めていた。
「俺になんか用かい? カワイ娘ちゃん!」
突然声を掛けられた。
いつの間にか オスカー がすぐ側にいて、ニコニコ陽気に笑っている。
(カ、カワイ娘ちゃん!?)
思いがけない呼ばれ方に、内心激しく狼狽えた。
困った事に、この時の2番目の魔女は「素直になれないお年頃」。しかも「可愛い」なんて言われ慣れてはいなかった。
相手が男の子なら、なおの事。動揺しつつも平静装い、ツン、とそっぽを向いてしまった。
「べ、べつに用なんか無いわよ! 何でそう思ったの?」
「だって、さっきからずっとここで俺が踊ってんの、見てただろ?
踊り終わっても帰らないし、何か言いたい事でもあるのかな~って思ってさ♪」
「言いたい事なんて何も無いわ!
ただアンタ、観客からお金もらわなかったでしょ? 何でかなって思っただけ!」
「あぁ、タダ見されたって思ったのか。へー、心配してくれたんだ。
お前、結構優しーじゃん。この辺のヤツじゃないな、どっから来たんだ?」
( 優しいって・・・、 うぅ~!)
ますます困惑した。
勝ち気な性分が災いし、周りの人から叱られる事は多々あるが、褒められた事はあまりない。
よって、2番目の魔女は素直になれず、照れるあまりに激昂した。
「お前!? ちょっとアンタ、淑女に対して失礼よ!?」
「そっちだってアンタ呼ばわりじゃん。 なんだよ、せっかく褒めてやってんのに。」
「名乗りもしない内から馴れ馴れしくするなって言ってんの!
だいたい初対面の女の子に軽々しく か、可愛い、とか! 浮ついたヤツね、信じらんない!」
「うっわ、高飛車!
可愛いのに性格キツイな、唐辛子みてぇに辛口だし! お前、そんなんじゃ誰とも結婚できねぇぞ!?」
「誰が唐辛子よ!そっちは痩せっぽちでゴボウみたいなくせに!」
「あっ!人が気にしてる事言ったな?! 激辛性悪赤唐辛子!」
「なんですって!?泥付ゴボウ!!!」
普段静か港の波止場に、騒々しい口喧嘩が響き渡った。
「おーい、みんなー!オスカーにカノジョができたみたいだぞー!♪」
大人達にはこの喧嘩がなんとも微笑ましく見えるらしい。
漁師の1人が叫んだ言葉に、波止場のあちこちから笑いが起った。
---♪★♪---♪★♪---♪★♪---
後に、波止場にいた漁師の1人からオスカーが波止場で躍る理由を聞いた。
海での労働は非常に辛い。
朝は早いし夜は遅く、体を酷使する重労働が休む間もなく一日続く。
夏場は灼熱の太陽が照りつけ、冬は冷たい北風が容赦無く吹き付け凍えさせる。
海が荒れれば船を出す事もままならない。しかし漁をしなければ生活の糧が得られない以上、漁師達は命を賭けて時化る海へと乗り出していく。
そんな漁師達を楽しませるため、オスカーは歌い踊るのだという。
だからお金はもらわない。
港で暮す人々を癒やし笑わせ元気づけるため、道化を演じているのである。
「そりゃ、俺だって金は欲しいさ。やりたい事がたくさんあるんだからな。」
波止場の隅に投げ置かれ、吹きさらしになっている木箱。そこに腰掛けリンゴをかじるオスカーが陽気に笑って言った。
「美味いもんいっぱい喰いたいし、珍しいモンもたくさん見てぇ。
いろんな事勉強してぇけど、学校行くのは勘弁かな。堅苦しい規則とかあるんだろ?窮屈すぎて性に合わねぇや♪」
「アンタ、親は?」
「いねぇよ。すっげぇ小さい頃、事故に遭って死んじまったってさ。
でも叔父さんが居てくれたからな。なんとか喰っていけてる。」
「ふぅん・・・。」
2番目の魔女は手の中のリンゴを玩んだ。さっきオスカーがくれた物だ。
初対面で派手にケンカした2人だったが、何度か顔を合わせる内に気の置けない仲になっていた。
自分が「魔女」だと教えた時も、オスカーは大して驚かなかった。
「魔女だってのは、何となくわかってた。
だってお前、名前言わないじゃん。魔女って名前、言わないんだろ? 」
「そうだけど・・・。何で知ってンの?」
「叔父さんが教えてくれたんだ。
面白いな。大魔女の子供は番号で呼び合うんだ、変なの!」
「うっさい!」
2番目の魔女はそっぽを向いた。
実はこの国の女王・大魔女の娘で「2番目の魔女」だと打ち明けた時ですら、彼は笑って受け入れてくれた。
一国の王女と言ってもいい高尚な身分に臆する所が全く無い。そんな彼の大らかな態度に、心の底から安堵した。
「俺は『赤唐辛子』って呼ぶぜ? お前赤毛だし、口悪ぃしピッタリのあだ名だ! 」
「何よ! じゃぁ私は『泥付ゴボウ』って呼んじゃうから!」
「俺は魔女じゃないんだぜ? ちゃんと名前で呼べよ!」
「やーよ! 泥付ゴボウ!♪!」
こうして一緒にくだらない話をしている時間が心地良い。
気心知れた友達がいない2番目の魔女にとって、オスカーはかけがえのない「友人」になった。
「叔父さんは流れの魔道士なんだ。
若い頃は世界中旅して困った人達を助け歩いたんだってさ。」
オスカーがかじったリンゴはあっという間に芯だけになった。
それを近くのゴミ箱に放り投げ、彼は誇らしげに胸を張る。
「孤児になった俺を育ててくれるためにこの街に居着いたんだ。
いつかまた旅に出るって言ってたよ。そン時は絶対、俺も連れてってもらうんだ!
広い世界を見てみてぇ!
俺も世界中旅してさ、なんかデッカい事ができるような、すンごい男になってやるんだ!!!」
海の見つめる少年の目がいきいきと輝いている。
とても眩しい。
2番目の魔女は手元のリンゴに目線を落とし、高鳴る胸を必死で宥めた。
「ア、アンタなんかに大した事、出来るわけないでしょ!ゴボウのくせに!」
「言ったな?!この赤唐辛子!!!」
いつものケンカが始まった。
その度に、漁師達から生暖かく笑われた。
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2番目の魔女はこの港町がすっかり気に入っていた。
美しい海は青く吹く風は穏やか。
決して豊かな暮らしではないが、町の人達はみんな陽気でとても優しい。
オスカーの叔父・モリスとも仲良くなった。
簡単な治癒魔法で医者のまねごとをして生計を立て、暇さえあれば世界中を旅した体験談を周囲に語って煙たがられる。武勇伝は迷惑だったが人柄は優しく誠実で、とても慈悲深い人だった。
「この港はもっと栄えていてもいいはずなんだ。」
波止場から海を眺めるモリスはよくこう言って嘆いていた。
「あそこに大きな岩が見えるだろう?ほら、ちょうど湾の入口付近に。
あいつがこの湾に温かい海流が流れ込むのを遮っているんだ。
俺の見立てでは、あの岩には『術』が掛けられている。
何かタチの悪い呪いのようなものだと思うんだが、あの岩さえ無くなれば海流に乗ってたくさんの魚が湾の中に入ってくるはずだ。
そうなれば海の恵みをもっといっぱい享受出来る。みんな今よりずっと豊かに暮らせるんだ。
近いうちに俺はオスカーと一緒に旅に出る。その前にあの岩だけは何とか取っ払っちまいたいんだ。」
2番目の魔女にも、湾の入口にある大岩からは強い魔力を感じていた。
しかし魔女としてまだ未熟だったため、それが何かがわからなかった。
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そして、「あの日」。
オスカーに会うため港町を訪れた2番目の魔女は驚いた。
町中の人が波止場に集まって来ている。みんな陽気に浮れていて、まるでお祭りのような騒ぎだった。
「叔父さんがさ、とうとうやるって言うんだ。
あの大岩を取っ払っちまう魔法の準備が整ったんだってさ!」
この状況を説明するオスカーも興奮していた。
「船で大岩に向かう叔父さんをみんなで送り出したトコロなんだ。
みんな喜んで大騒ぎさ!あの大岩がなくなりゃ魚がいっぱい捕れて生活が楽になるんだもんな。
見てろよ、赤唐辛子! もうすぐ叔父さんのすげぇ魔法が見られるぞ!♪」
不吉な予感が胸を過ぎったが、嬉しそうに笑うオスカーにそんな事はとても言えない。
2番目の魔女はオスカーと一緒に波止場に佇み、小さな船が湾の入口に向かって行くのを複雑な思いで見守った。
ド ォ ン !!!
突然、轟音と共に地面が大きく揺れ動いた!
晴れ渡っていた空が急に曇り、港町に凄まじい強風が吹きつける。
港のあちこちで悲鳴が飛び交い、人々は混乱して逃げ惑う。
2番目の魔女も驚くあまりにオスカーの腕にしがみついた。
そして、見た。
穏やかだった海面が、大きく渦を巻き始めるのを!?
「あれは・・・ 大渦潮 !!?」
2番目の魔女は記憶を辿り、城の図書館で読んだ本の記述を思い起こした。
大渦潮は 海の戦争 で使用される、とても強力な攻撃魔法。
海に巨大な渦を出現させて、何百艦という艦隊を一瞬で海の藻屑にしてしまう。
モリスは間違っていたのだ。
呪われていたのは大岩ではない。この湾全体に恐ろしい呪いが掛けられていたのに違いない。
むしろあの大岩は、何らかの理由で湾に放たれた大渦潮を封じるための 封印魔法 の 魔石 だったのだろう。
2番目の魔女はそれに気付けなかった自分を責めた。
その間にも港の船が次々と大渦の中に飲み込まれていく。
波もどんどん激しく高くなる。唸る濁流が波止場を乗り越え、町へと流れ込むのはもう時間の問題だった。
(させないわ! 私は 魔女 なんだから!!!)
2番目の魔女は意を決して立ち上がった!
持てる力の全てを使って、轟音あげて渦を巻く大渦潮に戦いを挑む!
しかし!
パァン!!!
大渦の縁で何かが爆ぜた!
2番目の魔女が放った魔法は、あっけなく弾き返されてしまったのだ。
大渦潮は止るどころかますます激しくなっていく。
「危ない! 逃げるぞ、赤唐辛子!!!」
呆然となる2番目の魔女は、オスカーに抱かれるようにして海から離れた。
必死で逃げる人々に混り、町の高台を目指して走る。
その最中。
大混乱に陥る港に、美しい音がこだました!
キ ィ ン !!!
( !? お 母 様 !?)
2番目の魔女は、空を仰いだ。
偉大なる大魔女の 首飾り 。その魔石が鳴った音。
王都の 大魔女 が惨状に気付き、救いの魔法を放ったのだ!
どす黒く濁って荒れ狂う海に真っ白な光が幾つも弾け、大渦潮は勢いを失い、次第に鎮まり消えていった。
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静けさを取り戻した海を目の前にして、港の人々はただ呆然と立ち尽す事しかできなかった。
( 悪い夢でも、見たのだ・・・。)
誰もがそう思いたがった。しかし、港に残された大渦の爪痕が、それを許してくれなかった。
何十隻もの大事な船が渦に飲まれて大破した。
波止場はズタズタに破壊され、海辺の家々は一つ残らず跡形もなく倒壊した。
唯一の救いは、人的被害がほんの僅かで済んだ事。
負傷者はごく数人、それもほんのかすり傷程度で、命を落とした者に至ってはまったくもっていなかった。
港町の人々はこの奇跡を「大魔女様のご守護」と感謝した。
しかし・・・。
「叔父さん! イヤだ、こんなのイヤだ!
帰ってきてくれよ!叔父さん、叔父さーーーん!!!」
モリスの姿が、どこにもない。
変わり果てた有様の波止場に、オスカーの泣き叫ぶ声が響き渡った。
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被災した港町にはすぐに救援の手が差し伸べられた。
王都から魔道士達が派遣され、救援活動が開始される。町の復興を手伝っていた2番目の魔女は、彼らに見つかり王都の城へと連れ戻された。
当然こってり叱られた。罰や謹慎を命じられ、しばらく城の外へは1歩も出してもらえなかった。
謹慎が解けるとすぐあの港町へすっ飛んだ。やっとの思いで戻った時には随分復興が進んでおり、波止場は綺麗に修復され、家々は新しく建ち並んでいた。
日々の生活を取り戻しつつある町の人達。その中に、モリスの姿だけがない。
それがとても悲しい。
2番目の魔女は改めて、自分の力量不足を責めた。
「町を出るんだ。最後に会えてよかった。」
つかの間、再会を喜んだ後、オスカーが淋しそうにこう告げた。
「あの大岩が大渦潮を封印したなんて、俺も叔父さんも知らなかった。
でもみんなをあんな目に遭わせちまったんだもんな。もうこの町には居られないよ。」
「・・・。」
2番目の魔女は言葉もなく項垂れた。
そんな彼女にオスカーが無理に笑って胸を張る。
「そんな顔すんなよ。俺なら大丈夫だからさ。
言っただろ? 世界中を旅してデッカい男になるって。 今がその旅立ちの時ってヤツだ!」
「・・・そうね・・・。」
誰より辛いはずなのに、心配させまいと陽気に振る舞う。必死で前を向こうとする彼の気持ちになんとか応えたかった。
暗い気持ちで別れたくない。
2番目の魔女は顔を上げ、城で謹慎している間ずっと悩み考え、決意した事を打ち明けた。
「オスカー、私、強くなる!
いっぱいいっぱい、うんと修行して誰よりも強い 魔女 になるの!
もう二度と負けたりしない! 私が助けるって決めた人は、何があっても助けてみせるわ!
大渦潮 だろうと何だろうと・・・。
例えば、 どっかの国の魔王 が攻めてきたって余裕でやっつけちゃえるような、世界一凄い魔女になる!!!」
「そっか、スゲぇな、赤唐辛子!」
オスカーの目が、少しだけ輝いた。
「そしたらお前、母ちゃんの後継いで 大魔女 になっちまうかも知れねぇな。
いや、きっとなれるよ。お前なら!」
「・・・うん!」
2番目の魔女も少しだけ微笑んだ。
オスカーが行ってしまう。
きっともう、会えない。
そう思うと、胸が張り裂けそうに苦しくなった。
惜別の思いを労るように、海から吹く穏やかな風が2人を優しく撫でていった。
「・・・なぁ。名前、教えろよ。」
ほんの暫しの沈黙後。
オスカーが急につぶやいた。
「当分会えなくなるんだぜ? せめて名前くらい教えとけよ。」
「 !!? だ、ダメよ! 知ってるでしょ? 魔女は名前を言わないの!」
この突然の要望に、2番目の魔女は狼狽えた。
「魔女の名前は『禁忌の呪文』。
家族以外の人に名前を呼ばれたら、魔力が無くなってただの人間になっちゃうの。
そんなんじゃ大魔女になれないでしょ? だから、絶対教えない!」
一気にそこまで話しておいて、ぷぃ、と顔を横に背けてオスカーから目を反らす。
「・・・まぁ、大魔女になっちゃえば話はちょっと違うんだけど。
大魔女の名前は『婚姻の呪文』。
唱えられても魔女のままだけど、唱えた人と結婚した事になっちゃうのよ。
その呪文を唱えていいのはこの世で1人、大魔女の『夫』だけって事ね。」
なぜこんな事まで言ったのか? それは今でもわからない。
余計で不要な説明だった。知らない世界へ旅立だとうとするオスカーには、関係のない話である。
しかし。
「そっか・・・わかった。」
オスカーが小さく呟いた。
いったい何が「わかった」のか、不審に思ったその直後。
「でも、教えろ。」
「ちょっと!アンタ人の話、聞いてた?」
いつになく強情でぶっきらぼうな口調にイラつき、キッとオスカーを睨み付ける。
途端に、2番目の魔女は驚きのあまり、両目を大きく見開いた。
無理に首をねじ曲げて海を見つめる、日によく焼けたオスカーの顔。
朱を差すどころの話じゃない。明らかに照れてる仏頂面は、赤唐辛子のようだった!
「だから、教えろって言ってんの!
お前が大魔女になるまで、絶対唱えたりしないから!!!」
「・・・。」
胸が高鳴り、目眩がした。
心に満ちてくる喜びと愛しさ、ほんの少しの恥ずかしさ。初めて感じる甘やかな気持ちに、天にも昇る気分だった。
だから、つい教えてしまった。
本当はいけない事なのに、『禁忌の呪文』を 途中 まで。
「途中まで? なんだそれ?」
「い、言ったでしょ?魔女の名前は呪文だって!
だから長いの! 短い名前じゃ教えなくても、言い当てられちゃうかもしれないんだから!」
きっときっと、また会おう。
その約束の元、2番目の魔女は名前を「途中まで」教えてあげた。
熱に浮かされた勢いでつい全部言いそうになり、慌てふためいた事を覚えている。
この時の思い出は、宝物。
一生忘れる事のない、かけがえのない 恋 だった。
---☀★☽---☀★☽---☀★☽---
長い追憶の旅が終わった。
大魔女はそっと目を開ける。真っ暗だった大広間に微かな光が差し込んでいた。
夜が明けたのだ。国の命運を賭けた過酷な戦い、その初戦が始まろうとしていた。
この日、自らを「魔王」と称する 愚か者 がやって来る。
大魔女と婚姻を結ぶために。
( 強大な力を有する者には、それ相応の責任が伴う。)
大魔女は玉座から立ち上がった。
( 国を護る女王たる者、自由な結婚など許されない。
そんなの解っていたはずよ? 今更思い悩むなんて、愚の骨頂もいいトコね!
ましてや、あの時の約束なんて・・・。
戯れ言ね。無垢で何も知らない頃の、とても綺麗な 思い出 だわ!)
魔王を迎える準備をしなければならない。
金のローブを翻し、大魔女は大広間の扉へと歩き出す。
まだ薄暗い大広間の静寂に、戦いに赴く大魔女の靴音が高く孤独に響き渡った。