13番目の魔女
4.ソラムとお母さん
街の学校へ続く道は、背の高いポプラの並木道。
整然と並ぶポプラの中で一番高くて立派な木。青々と葉を茂らせるその木の上で、13番目の魔女は終業の鐘の音を聞いていた。
学校が終わる時間である。遠くに見える校舎から、低学年の小さな子供達が元気いっぱいで飛び出してきた。
高学年の子はのんびりだ。友達同士でおしゃべりしたり、ふざけて小突き合ったりしながらポプラ並木を歩いて行く。
この楽しげな様子を見る度に、魔女は少しだけ寂しくなる。
( もしも私が魔女でなく、普通の女の子 だったなら・・・。)
つい、そんな事を思ってしまう。
目深に被ったフードの下で、魔女は小さく苦笑した。
「ソラム! 今日もダメなのかい?」
「 ・・・! 」
慌ててポプラの葉の中に隠れ、並木通りを覗き見た。
ソラム と呼ばれた少年が足を止め、呼び止めた友人達に振り返った。
「うん、ごめん。家に帰って家事しなきゃ。」
「ちょっとくらいいいじゃん。たまには遊んで息抜きしよーぜ。
今日は川へ釣しに行くんだ。そろそろデッカいニジマスが釣れる頃だしさ。」
「・・・ごめん。」
「そっか。お前、大変だなぁ。」
申し訳なさそうに項垂れるソラムに、友人達が同情した。
「親父さん、早く仕事終わるといいな。じゃ、行こうぜみんな!」
駆け出す友人達を寂しげに見送り、ソラムは小さくため息をついた。
そして街外れにある 家 に向かって、1人トボトボ歩き出した。
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ソラムは弦楽器職人の父と暮す、13才の少年である。
自宅で工房を構える父はとても素晴らしい楽器を作る。しかし良くも悪くも職人気質で、仕事に没頭し過ぎてしまう。
楽器製作に打ち込む彼の向上心と情熱は、残念な事に彼自身の 家族と家庭 を犠牲にした。
そんな父を母は見限り、出て行ったのは3年前。以来、ソラムが懸命に家事の全てをこなしている。
大好きな友達と遊べない、仕事で忙しい父親にあまり構ってもらえない。
それでも不満を口にする事もなく、父との暮らしを支えている。
しかし。
13番目の魔女は、知っていた。
決して弱音をはかない彼が 母親 に会いたがっている事を。
楽器を作る手は器用でも、心根は不器用な父に遠慮し、母に甘えたい気持ちをずっと我慢してきた事を・・・。
シャラーーーーン・・・
13番目の魔女は腕飾りを鳴らした。
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街の広場に差し掛かった時、異変を感じた。
ソラムはハッと立ち止まる。目の前の風景がグニャリと歪み、体がふわりと浮かび上がった!
「えっ!?」
慌てて目を閉じ身をすくめる。
何が起こったのかわからない。異変が収まるのを待っていると、急に空気の匂いが変った。
周りに人の気配を感じ、ソラムは恐る恐る目を開ける。
「・・・えぇえ!!?」
目に飛び込んできた光景は、田舎街の広場ではない まったく知らない場所 だった!
先ず、自分が立っている場所に驚いた。
石畳で綺麗に舗装された広くて長い大通り。
そこを埋め尽くす人の波。こんなに多くの人がいるのを、ソラムは一度も見た事が無い。
道沿いに並ぶ商店や露店では、野菜や肉と言った食料品はもちろん、様々な衣類に靴や帽子、陶器や金物、家具・敷物、酒やタバコといった嗜好品まで、溢れんばかりに並べられている。
通りを逸れて側道に入れば、ソラムの街ではお目にかかれない豪邸が並ぶ。洒落た喫茶店や食堂も点在し、どの店も飲食を楽しむ人で賑わっている。
家々の屋根が連なる向こうには、高くそびえる お城 が見える。
美しく壮麗な 大魔女の城 。ソラムは愕然と立ち尽くした。
( まさか、ここはこの国の 王都 !!? なんで僕、こんな所にいるんだ!??)
夕方の買い物客が賑わいを見せる、王都中心部の大通り。
行き交う人波にもまれながら、ソラムは1人途方に暮れた。
「・・・ ソラム ?」
懐かしい声が聞こえた。
この優しげな声を持つ人が、名前を呼んでくれたのは何年ぶりの事だろう? 強い衝撃を受けたソラムは、息苦しいほどの人混みの中、必死で辺りを見回した。
「 ソラム! まぁ、やっぱりソラムなのね!!!」
すぐ近くで聞こえた声に、弾かれたように振り向いた。
そこに立っていたのは、上品なコートを羽織った婦人。
ソラムは思わず息を飲んだ。
「・・・おかあ、さん・・・?」
あんまり驚いた所為だろうか? 声は掠れて震えていた。
婦人の頬が高揚する。
彼女はレースの手袋をはめた手で、ソラムをしっかり抱きしめた。
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母が今住んでいる家は、大通りから少し離れた閑静な住宅街だった。
居間に通されソファに座る。母が入れてくれたミルクティーを遠慮がちに啜りながら、ソラムは室内を見回した。
美しい絨毯、座り心地のいいソファと立派なテーブル、壁にはたくさんの絵が飾られていて、マントルピースの上には珍しい置物がたくさん置かれている。
田舎町では見られないような、贅沢な物がいっぱいだった。
隣のソファに座る母もまるでどこかの貴婦人のよう。高級そうなワンピースをきて首飾りまで付けてる母が、なんだか知らない人に見えた。
「元気そうで良かった。すっかり大きくなって・・・。」
薄化粧を施した顔で、母が優雅に微笑んだ。
とても綺麗だった。こんな笑顔は見た事が無い。
「綺麗な、家だね。」
「ふふ、ありがとう。
でも驚いたわ。会えてとっても嬉しいけど、いったいどうしたの?」
「・・・。」
説明に困って押し黙る。
その時、バタンと居間の扉が開き、小さな男の子が走り込んできた。
「お母さん、ただいま!」
栗色の髪をくしゃくしゃにした5,6歳くらいの男の子。
やんちゃそうな少年は、母に抱きつこうとしてソラムに気付き、目を見張って立ち止まる。
「あ、あぁ、お帰りなさい。」
母の笑顔がスッと変った。
嬉しそうだった満面の笑みから、バツが悪そうな作り笑いに。
「あの、ソラム?
この子はね、その・・・。知ってると思うけど、私ね、再婚したの。
その方の、前の奥様とのお子さんで・・・。」
「・・・。」
言いにくそうに口ごもる母に、なんて言っていいのかわからない。
戸惑うソラムをしげしげ見つめ、男の子が母に駆け寄った。
「お母さん、このお兄ちゃん、だぁれ?」
「前に少しお話したでしょ?お母さんがここに来る前に、結婚した人の子よ。」
「ふーん・・・・。」
よくわからないらしい。男の子がちょっと首を傾げ、母の膝に抱きついた。
そこに、玄関の扉が開く音がして呑気な男性の声がした。
「ただいま~。
今日は早く帰れて幸運だったよ。トムは帰ってるかい? お土産があるんだ。」
「お父さんだっ♡♪!」
男の子が居間から元気に走り出た。
「ちょ、ちょっとだけ待っててね。」
母も慌てて立ち上がり、男の子の後を追って行った。
取り残されたソラムは手にしたカップを眺め、温かかったミルクティーが冷めていくのを感じていた。
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しばらくすると、背の高い男性が居間に入ってきた。
「君がソラム君、だね?」
ソファから立ち上がったソラムにニッコリ微笑み、親しい口調で話しかける。
「初めまして。私はマイルズ。君のお母さんの 再婚相手 だよ。
この子は私の前妻との子で、トム。君の弟、になるのかな?」
マイルズ氏は母と一緒に居間に入ってきたあの男の子を紹介した。
「挨拶しなさい。」という父親の言葉に、トムは従おうとしなかった。母の後ろにサッと隠れ、うろんな目を向けてくる。
「やれやれ。すまない、まだ小さくってね。悪く思わないでくれ。
よく訪ねてきてくれたね。君の事はお母さんから聞いていて、僕なりに気に掛けていたんだ。」
母が選んだ新しい夫は、穏やかで優しく誠実そう。
身なりも立派で品が良く、とても裕福そうだった。
「ようやくこうして会えたんだ。
これからは困った事があったら、いつでも相談に乗るよ?
遠慮せず、何でも言って欲しい。いいね?」
「・・・。」
しかし、ソラムは見抜いてしまった。
穏やかで、誠実そうなマイルズ氏。彼が初めてソラムを見た時、瞳の奥に一瞬浮かんだ本音と思われる感情の色を。
驚愕 と 困惑 、そして 嫌悪 。
それと同じ感情を、母にしがみつく小さなトムは隠そうともせず投げかけてくる。
この人は僕のお母さん。幼い子供の無垢な目が、必死で訴え威嚇する。
そして、母は・・・。
「・・・ありがとう、ございます・・・。」
ソラムは声を絞り出すようにして、礼儀正しくお礼を言った。
マイルズ氏ではなく、 13番目の魔女 に。
「魔女様、もういいです。
僕を街へ帰して下さい。
お母さんが幸せだったら、僕はもう、充分ですから・・・。」
ぐにゃり、と風景が歪んだ。
驚くマイルズ氏と小さなトム、そして あれほど会いたくて止まなかった母に、ソラムは静かに頭を下げる。
「急に来てごめんなさい。
もう来ません。さ よ う な ら ・・・。」
口にしたのは、別れの言葉。
惜別ではなく永遠の決別を込めた最後の言葉。
最初から、わかっていた。
自分が「会いたい」と望むほど、母は「会いたい」と思っていない。
だから彼女は家を出た。3年前、まだ小さかったにソラムを残し、愛も思い出もうち捨てて。
彼女の人生に自分は必要なかったのだ。
改めて思い知らされた。母に 捨てられて からずっと、考えないようにしていたのだが。
「・・・ごめんなさい、ソラム!!! 」
最後に母の声が聞こえた。
しかし、消えゆくソラムに彼女の両手が差し伸べられる事は、なかった。
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「・・・ ソラム !!!」
誰かに呼ばれて我に返った。
振り向くと、作業着姿のままの 父 が息を切らして立っていた。
「 えっ?!」
慌てて周囲を見回した。
元いた街の広場、その真ん中に佇んでいる自分に気が付いて驚いた。
しかもすっかり日が暮れている。月のない空には星が瞬き、真っ暗になった広場の隅で外灯がぼんやり灯っている。
その乏しい明かりに照らされた父は、汗まみれでヨレヨレだった。
ひどく疲れ果てている。夜になっても帰って来ない息子を方々捜していたらしい。
( どうしよう、ただでさえ忙しい父さんに迷惑掛けちゃった!
しかも、買い物してないし洗濯物の取り込みもしてない、晩ご飯の仕度だって出来てない!
ゴメン、父さん、ごめんなさい!!!)
そう言おうとした途端、一気に感情が爆発した。
ソラムは、泣いた。
父の目の前で堰ききったように、ワッと泣き出してしまったのだ。
( 泣いちゃダメだ、
父さんが困ってる! しっかりしなきゃ!!!)
そう思えば思うほど、今までずっと押し殺してきた悲しみがどんどん沸き上がる。
止めどなく流れる涙に急かされ、ソラムは為す術も無く泣きじゃくった。
( ・・・えっ??? )
不意に、自分を包み込む温もりを感じた。
驚き顔を上げてみると、父の悲しそうな目と目が合った。
楽器を作る器用な父の手が、不器用にソラムを抱きしめる。
号泣する我が子の姿に、いったい何を思ったのか。
父は小さな掠れた声で、悲しむ息子に呟いた。
「すまんな、ソラム。 本当に、すまん・・・。」
最後の堤が崩れ去った。
ソラムは父にしがみつき、声を嗄らして激しく泣いた。
ずっと我慢してきた涙は枯れる事なく溢れてくる。我を忘れて泣き続けた。
夜のしじまに悲しく響く、胸を締め付けるような少年の慟哭。
外灯の朧な光の中、父子は互いにしっかり抱き合い、いつまでもそこに立ち尽くしていた。
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13番目の魔女も泣いていた。
高いポプラの木の上で、抱き合う父子の悲しい姿に声を殺して泣き崩れた。
こんなつもりではなかった。
願いを叶えてあげたかった。心優しく誠実な少年に、ただ 喜んでもらいたかった。
笑って欲しかっただけだったのに、こんな事になるなんて・・・!
( ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・。)
後悔の涙が、止らない。
銀ローブのフードの中で、13番目の魔女は父子と一緒にずっと涙を流し続けた。
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1人悲しむ小さな魔女を、じっと見つめる者がいた。
13番目の魔女と同じ銀ローブを羽織った者が、星が輝く夜空の高みで宙に浮かんで留まっている。
燃えるような赤い髪。挑むような鋭い目。
彼女は大魔女の 2番目の娘 。
1番目の魔女」を堕落させたという、 2番目の魔女 その人である。