13番目の魔女
2.ネット氏の受難
(いやはや、参った。
マーサのヤツにも困ったモンだ・・・!)
通りを歩くネット氏は、いささか気分を害していた。
朝から妻と大げんかしてしまったのだ。出勤前の忙しい時間に「たまには一緒に夕食を」とねだられたので、つい苛立ち生返事を返してしまった。
ヒステリックに喚く妻を自宅の玄関に1人残し、ネット氏は大急ぎで家を出た。
彼は靴の製造・販売を生業としている。
多忙を極める日々を送る中、妻の望みに耳を傾ける 心の余裕 をすっかり無くしてしまっていた。
(俺の工房が作る 靴 は、評判が良くて売れ行き好調。
ただでさえ忙しいのに、最近増築した新しい工房に職人を雇い入れたばかりでゆっくり飯を食ってる場合じゃない。
そんなのアイツだってわかってるはずなのに、何をあんなに怒ってるんだか!
いや、本当に休んでる場合じゃないぞ!
この調子で頑張れば、工房をもっと大きくできるかも知れない。
職人だってたくさん雇える。そうなればもっとたくさん靴を作れるぞ。
それを売った利益でもっともっと大きな工場を建てて・・・!!!)
もっと、もっと、もっと!
ネット氏の足取りはセカセカ早くなっていく。
爛々と輝く双眸は、前をしっかり見ているようで、実は何も見えていない。
今、彼が見ているのは、「もっと」の先にある明るい 未来 。
その未来に妻の姿が無い事に、まったく気付いていなかった。
シャラーーーーン・・・
ネット氏はハッと我に返る。
鈴の音を思わす美しい音。この街に住む者ならば、誰でも知っている音色だった。
(13番目の魔女様?)
そう思ったと同時に、事件が起こった。
ブ チ っっっ!!!
いきなり、靴の 靴紐 が切れた!
靴は足からすっぽ抜け、ポーンと華麗に宙を舞った。
「ぎゃー!!?」
転んだ場所が 坂道 だったのが災いした。
通りを行き交う人々は、勢い余って転がる彼が坂下の花屋に突っ込んでいくのを、ただ呆然と見送った。
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店主は怪我を心配したが、奇跡的に無傷だった。
ただし花屋の店頭はメッチャクチャ。バケツに活けていた色とりどりの花は吹っ飛ばされて辺りに散乱。見るも無惨な有様だった。
ネット氏もバケツの水をかぶってびしょ濡れ。それでもひたすら謝り倒す。
店主は穏やかな人柄だったが、「全部弁償します!」と言うまでは決して許してくれなかった。
自宅の住所を告げて配達を頼み、店主の笑顔に見送られながら、ネット氏は花屋を後にした。
とんでもない散財である。今日は朝からツイてない。非常に気分が重くなった。
「なんなんだ、いったい・・・。」
トボトボ歩きだすと足に違和感を感じた。
靴が片っぽ、ない。
そういえばどこにいったんだろう???
キャン!
何かの鳴き声がした。ネット氏は辺りを見回した。
通りの向こうで 薄汚いやせっぽちの子犬 が、何かを咥えて引きずっている。
それが自分の靴だと気づき、慌てて通りを横切った。
「おい、その靴、俺のだぞ!」
つい声を荒げてしまった。
子犬はビックリして飛び上がり、靴を咥えたまま逃げ出した!
「ま、待て! 靴を置いていけ!」
逃げる子犬を追いかけ走る。
通りを駆け抜け、裏路地を曲がり、急勾配の坂道を駆け上がっては駆け下りる。
靴を引きずる小さな子犬と、全身びしょ濡れ・片方裸足の奇妙な男の 鬼ごっこ は、力尽きた子犬が道ばたにへちょっとへたり込むまで延々続いた。
「や・・・、やっと捕まえた!(ハァハァ、ゼェゼェ。)
さぁ、靴を返してもらうぞ? お前のお陰で大遅刻だ! 早く仕事に行かなければ!!!」
ネット氏は子犬を抱き上げ、咥えたまま放そうとしない靴を無理矢理もぎ取った。
その時・・・。
「やぁ、ネットさん。奇遇ですな。」
「こ、これはナフラスキーさん! おはようございます!」
偶然、取引先の重役さんと鉢合わせてしまった。
ナフラスキー氏は恰幅のいい気さくな紳士。明るく陽気で愉快な人だが、仕事上の取引きではとても厳しく気が抜けない。
そんな彼が満面の笑みを浮かべ、肩をバンバン叩いてきた。
「なんでずぶ濡れなのかは知りませんが・・・。
いや、素晴らしい! アナタは大変立派な方だと、常日頃から思っていましたよ!」
「・・・は?」
なぜか、いきなり褒められた。愛想笑いを返しながら、ネット氏は密かに訝しがった。
「あの? それは、いったい・・・???」
「子犬ですよ、その子犬!」
腕に抱いた子犬を見下ろし、ナフラスキー氏が目を潤ませる。
「随分弱ってますなぁ。母犬とはぐれたのでしょう、可哀想にこんなに痩せて・・・。
それを助けてあげようなんて、本当に心優しい人じゃなきゃ出来ない事だ!
いや、まったく素晴らしい! 感服しましたぞ、ネットさん!!!」
( た、助け、る???)
話がまったく見えてこない。
狼狽え戸惑うネット氏は、今 自分がどこに居るのか気が付き、ようやく事態を把握した。
『ミセス・モリーの 動 物 病 院
初めて動物を飼われる方、ご相談下さい!!!』
そんな看板が掲げられてるこぢんまりとした建屋の前。
可愛い子犬の絵が描かれた玄関扉が、ネット氏の来訪を待ち構えていた。
「いやぁ、私もコイツの予防接種に来たトコロですよ。」
ナフラスキー氏が自分が連れてきた小型犬を、愛おしげに抱き上げた。
「さ、行きましょうか♪♪♪」
茫然自失のネット氏は子犬と一緒に、動物病院に連れ込まれた。
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子犬は動物病院で綺麗に洗われ、見違えるように可愛くなった。
汚れていた毛がフワフワになり、ついでにご飯をいっぱいもらってすっかり元気を取り戻した。
新しい首輪を付けてもらい、引き綱を手にするネット氏を引っ張るようにして子犬が歩く。
そんな子犬とは対照的に、ネット氏は疲れ果てていた。
靴は靴ひもが千切れてカパカパ、服はびしょ濡れになってヨレヨレ。大遅刻で辿り着いた職場では、この惨憺たる有様を見た従業員達に容赦無く笑い飛ばされた。
あんまり酷い目に遭ったので、ちっとも仕事に集中出来ず今日は早めに退社した。
いつもは夜がかなり更けてから帰路に着くのに、今日は空にはほんのりと夕焼けの朱が残っている。外灯が灯り始めた通りを子犬と歩きながら、自分の不運を嘆くネット氏は心の中で毒づいた。
(まったくなんて災難だ! おまけにこいつに掛かった病院代ときたら!)
何だか悲しくなってきた。
すっかり軽くなってしまった財布を取り出し中を覗く。それが過ちの元だった。
真新しい首輪や引き綱に慣れない子犬を連れて歩いているというのに、 財布を開けてお金を数える なんて不注意なマネをしていたら・・・。
「キャン!」
「ひぃぃぃ!!?」
元気にじゃれつく子犬の引き綱が、見事に足に絡まった!
( た、倒れる!)
ネット氏は転倒を回避しようと試みた。自由の利かなくなった足で、子犬を踏んづけないようピョンピョン跳ねる。
必死で引力に逆い続けたが、無駄だった。
体勢を立て直そうとする努力は報われず、バタン!とうつぶせに倒れてしまった。
「・・・えっ!?
わぁっ♡ 有 り 難 う ご ざ い ま す っっっ!!!」
「・・・は?」
派手に転んだのに痛くない。
それを不思議がりながら、声がする方へと顔を上げる。
嬉々とした目で自分を見つめる1人の少女がそこに居た。彼女は感極まった面持ちで、ネット氏に何度も頭を下げた!
「 お 買 い 上 げ 、有り難うございます!
しかも、飛 び 込 む 勢 い でお求め下さるなんて! 私、とっても光栄です!!!」
「え? ちょ、何の話を・・・???」
何が起ってるのか、わからない。
慌てて辺りを見回すと、そこは通りの隅に敷物を敷いて婦人用の 装飾品 を並べた 露天 だった。
あまり裕福にみえない少女が、これ以上はない最高の笑顔で幸せそうに語り出す。
「これ、全部私が作ったんです。装飾品職人になりたくって。
独学で作ったんですよ! 家が貧乏でお金が無くて、職人学校には行けなかったから。
どれも一生懸命作ったんですけど、ちっとも売れなくて落ち込んでたんです。私、才能無いのかなって。
でも、こんなに必死に お 買 い 求 め 下 さ る 方がいたなんてっ!
感激です!この感動を支えにまた明日から 夢 に向かって 頑 張 り ま す !!!
有り難うございます! 貴方は私の救世主です!
ホントにホントに、有 り 難 う ご ざ い ま す っっっ!!!」
ネット氏は倒れ込んだ姿のまま、少女の熱い語りを聞きされていた。
驚きの余り身動き取れない。この現状に愕然となり、目を見張る事しか出来なかった。
子犬の引き綱を握った右手は、なぜか人差し指だけ真っ直ぐに伸びて、敷物の上に並ぶ装飾品の一つ、小さな青い石がはまった指輪 を指し示している。
財布を握った左手は、露天の少女の手の中に。その手を少女がしっかり握り、ブンブンと上下に振り回している。
この状況で購入を断るなど無理だった。そんな図太い神経は、生憎彼は持ち合わせていない。
「あ、包装は 別料金 となってますケド、いいですよねっ♡」
ニッコリ笑う少女の方が、よっぽど神経太かった。
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最悪の一日だった。
疲れきったネット氏は、ようやく自宅に辿り着いた。
精も根も尽き果てた。魂抜けた死人のように放心しつつ、玄関扉を押し開ける。
その時だった。
待ち構えていた 妻のマーサ に、強烈な 体当たり を食らったのは!!?
「お帰りなさい、アナタ!
もぉ、私 ビックリしちゃったじゃないのーーーっっっ!!!」
どかーーーん!!!
「 おぐぉ?!?! 」
思わず変な悲鳴が漏れたが、辛うじて妻の攻撃を受け止めた。
ビックリしたのはこっちの方だと思いながらも、ネット氏は目を丸くする。
花、花、花。
マーサの頭越しに見える玄関の中も、その先に垣間見える居間やキッチンも、色とりどりの 花 だ ら け 。
まるで花屋の店先のように、花で埋め尽くされてしまっていた!
(・・・ しまった !)
ネット氏は青ざめた。
今朝 不運な事故で迷惑を掛けた花屋から、弁償した花が送られて来るのをマーサに伝えるのを忘れていたのだ!
突然こんなに大量の花が送られてきたのだ、大変だったに違いない。普段慎ましやかで寛容な妻も、怒髪天を衝いただろう。
また喧嘩になってしまう。
そう危惧して戦いた。
しかし。
なぜかその後の展開は、彼の想像していたものとはまったく違う形になった。
「あぁ、ありがとう、アナタ!♡♡」
すこぶる上機嫌で興奮気味のマーサが笑顔でこう言った。
「嬉しいわ、私がお花大好きなの、ちゃんと覚えててくれてたのね!
今朝はごめんなさい、アナタったら、今日が 何の日 かわからないような事言うんだもの。
あれはビックリさせる為の作戦だったのね! ひどいわ、覚えてらっしゃい♡」
(・・・え?)
「まぁ、子犬!? 犬が飼いたいって言ったのまで覚えててくれてたなんて!
なんて可愛い! このふわふわの毛並みったら! あぁアナタ、私もう泣きそうよ♡」
(・・・えぇ??)
「あら、手に持ってるの、なぁに? 可愛い包みね。もしかして、それも私に?
まぁ、指輪!? なんて綺麗なの!♡
こんなにしてもらえるなんて思わなかったわ♡ アナタ、私 幸せよ♡♡♡」
(・・・ええぇぇぇ???)
驚きのあまり固まった。
そんなネット氏の足にじゃれつく子犬を、マーサが優しく抱き上げる。
「よかった・・・。
私、アナタが 妻の誕生日 まで忘れちゃうほど お金儲けに夢中になってると思ってたの。
バカね、私。考え過ぎだったわね。
アナタはちっとも変らない。優しくて、思いやりがあって、人を驚かせたり楽しませたりするのがとても大好きな温かい人。
そんなアナタが大好きよ。
本当にありがとう。今日は人生で一番素敵な 誕生日 だわ!!!」
「・・・。」
ずっと側に居て欲しい。
求婚 するほどそう思わされた時の、一番綺麗笑顔だった。
心が満たされていくのを感じ、ネット氏は妻を抱きしめる。
この人を失うところだった。
花や動物を慈しむ、心優しい愛しい人を、不幸にしてしまうところだった。
誰よりも、何よりも大切な人を、金儲けという私欲のために。今日という日の奇跡がなければ、必ずそうなっていただろう。
まだ間に合う事に喜びを抱き、ネット氏は泣き出した妻の背中を撫でた。
シャラン・・・・。
美しい音色にハッと振り向く。
家の前の通り沿い。植えられた大きなシイの木の枝に、銀のローブが夜風にそよぐ。
思わず小さく苦笑が漏れた。今日の奇跡がなぜ起ったか、ようやく理解できたのだ。
( ありがとうございます。13番目の魔女様。
でも、もうちょっとお手柔らかにできなかったものですかね?)
心の中で呟く言葉を目配せに込めて魔女に伝える。
「・・・。」
魔女はちょっと肩をすくめ、右手を小さく薙ぎに振った。
シャラン・・・・。
魔女の腕飾りが鳴った。
今度の魔法は、忘却防止の魔法。
少しだけ愚かだった男が、今日の奇跡を忘れないように。
「キャン♪」
奇跡のおこぼれにあずかった子犬が、可愛い声で一声鳴いた。
泣いてる妻を宥めるネット氏の代わりに、別れの挨拶をしたようだった。