魔女がドレスを着る時は

2025年8月8日

国を治める大魔女の姉妹は全部で12人。
中でも一番末の妹 13番目の魔女 は、とても優れた魔女だった。
しかし、ある日彼女は魔女でなくなり、ごく普通の娘になった。
魔女の名前は「禁忌の呪文」。
家族ではない他の誰かに名前を呼ばれたその魔女は、魔力を失い人間になる。
心優しい少年が「禁忌の呪文」を唱えた瞬間、彼女はすべての魔力を失い、恋と夢とを手に入れた。
もう魔法を使えない。
彼女が再び魔女となるなど、そんな事はあり得ない。
決して起きない奇跡である。

・・・そのはずだった。

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かつて 13番目の魔女 と呼ばれ、今は ティナ と呼ばれるその少女は、扉の前でもう一度身だしなみを確認した。
ブラウスの襟をキチンと正し、髪を軽く撫で付ける。
結い上げた髪からこぼれる後れ毛を気にしていると、目の前の扉がいきなり開いた。

「何やってるの、もう! 来たんならさっさと入ってらっしゃい!」

まだノックすらしていない。
有無を言わせぬ強引さで、ティナは室内に引きずり込まれ、思いっきり抱きしめられた。
愛おしげに髪を撫でられ、戸惑いつつも苦笑する。
久方ぶりの訪問は、手荒くも優しい抱擁による大歓迎から始まった。

「ご、ご機嫌よう、大魔女様 。お元気そうで何よりです。」
「普段通りに お姉様 と呼びなさい!広間で謁見するわけじゃあるまいし、かしこまる事ないでしょ?」

燃えるような赤い髪。挑むような鋭い目。
この国の女王にして、世界最強の魔力を誇る 大魔女 が、年の離れた妹を愛情込めて優しく叱る。
「まったくこの娘は! ほっといたらいつまで経っても顔を見せに来やしない!」
「すみません、私が住んでいる町から王都はちょっと遠くって・・・。」
「そんな言い訳、もう通用しなくってよ?
王都の学校へ進学して城下町で一人暮らしするんですからね。ちゃんと会いにいらっしゃい!
恋人と会う半分くらいでいいから。わかった?」
頬がカァッと熱くなる。
ティナは恥じらい、目を泳がせた。
「ソ、ソラムはバイオリン技師の修行で忙しいから・・・。」
「滅多に会えない?それは問題ね。
私はあの坊やを信用したからアンタの『禁忌の呪文』を教えたのよ?
可愛い妹を悲しませたら、タダじゃおかないって言ってあるはずなんだけど?」
「!? いえ、あの! 大事にしてくれてます、本当に!」
本気で狼狽えるティナの様子に、大魔女が思わず吹き出した。
「やぁね、冗談よ♪」
「・・・。」
ティナもつられて微笑んだ。しかし微笑に僅かな狼狽が残る。
12人の姉妹全てに分け隔て無い愛情を注ぐこの姉は、情が深い分少々過激。
さっきの言葉も決して冗談ではない事くらい、イヤというほど知っていた。

「それにしても驚いたわ。あぁ、綺麗になったこと!」

大魔女は少し身を引き、妹を眺め目を細めた。
その時、パタン!と扉が開き、2人がいる大魔女の私室に「怪獣」達がなだれ込んできた。
「大魔女様ぁ!お腹空いたー!」
「おやつ!おやつ食べたーい♡」
嫁いだ後も王都で暮す元・1番目の魔女の子供達。
時々こうして奇襲して来て、手に負えないほど元気がいい。
そんな彼らが珍しく、目を丸くして固まった。
柔らかく波打つ金糸の髪。スミレ色の大きな瞳。
優しい微笑みを投げ掛けるティナに、甥っ子怪獣は立ち尽くす。
「あらあら、いっちょ前に見とれちゃって!」
大魔女が悪戯っぽく笑ってみせた。
「アンタ達、ご挨拶は?
一番下の叔母様よ。前に話してあげたでしょ?とんでもなく 凄い魔女 だったんだって。
本当なら、この人が大魔女になってたかも知れなかったのよ!」
「や、止めてくださいお姉様。4年も前の話ですわ!」
「あら、もう4年も経つかしら?
そりゃ綺麗にもなるわよね。ソラムが『禁忌の呪文』を唱えた時はまだ子供だったのに。
・・・ほら、アンタ達!そんなトコロで突っ立ってないで、調理場の料理長を襲撃しなさい。
糖蜜パイが焼き上がってる頃よ、もらっておいで。」
甥っ子怪獣達を追い払い、お茶の用意をし始める。
城の料理長は腕が良い。とびきり美味しい「おやつ」が期待できるだろう。
ティナはふと、気が付いた。

「そういえば、お義兄様 は今、どちらに?」

またしてもパタン!と扉が大きく開いたのはその時だった。

「ミシュリー! 赤唐辛子、ちょっといいか?
エコールの街から嘆願書が上がってきてるんだ。小学校の建物が老朽化で危ないらしい、建替え費用の援助を求めてきていて・・・。」

手元の書類に目を落としたまま、大股で入ってきた逞しい若者。
彼は佇むティナに気が付くと、日焼けした顔を上げ破顔した。
「ティナじゃないか、良く来たなぁ!」
「良く来たなぁ、じゃないわよ!アンタときたら!」
義妹に手を差し伸べる 夫 に、大魔女が目をつり上げた。
「人前で気易く名前呼ぶなって、いつも言ってるでしょ?!
あと、入室する時はノックして! 最低限の礼儀はわきまえてよ!」
「ここは俺の部屋でもあるんだぞ? 礼儀もへったくれもないだろう。
それに、可愛い妻の名前を呼ぶのになんの遠慮がいるってんだ?
ミネルヴァ・ミレディーヌ・ミリセント・ミシュリー。ちょっと長ったらしいけどいい名前じゃないか。」
「オスカー!」
思わず笑いそうになる。ティナは義兄に声を掛けた。
「お元気そうですね、お義兄様。」
「このとおり絶好調さ。新婚ほやほや、夫婦仲も良好だしな♡」
「いい加減黙って! 泥付ゴボウ!!!」
緋色の髪と同じくらい真っ赤になった大魔女の顔。
幼い頃からずっと互いを想い続け、困難を乗り越え結ばれた。そんな2人の夫婦仲は、確かに良好のようだった。

「まぁまぁ、騒がしい!
お前達一緒に居ると城の中がひっくり返ったように騒々しくなるわ。」

オスカーが開けっ放した部屋の入口から、1人の婦人が入ってきた。
先の大魔女にして、甥っ子怪獣達の気の良いばぁば。
彼女はわざとらしく眉を潜め、若い夫婦を窘めた。
「もう少し心静かに生活できないのかい? 似た者夫婦とはこの事だよ、どっちもまったくジッとしてないんだから・・・。
まぁティナ!やっと会いに来てくれたのね!」
佇む末の娘を見つけ、婦人の顔が輝いた。
「すっかり見違えた! 綺麗になって!私の若い頃にそっくりだ!♪」
「・・・そんな白々しい嘘は甥っ子怪獣達の教育によくなくってよ? お母様。」
「お黙り!」
そうこうしている内に、お茶やお菓子が運ばれてきた。
この先の大魔女が、事件の発端となる「ある事」を言い出したのは、みんなで焼きたてのパイを囲んで紅茶を飲んでいる最中だった。

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